いきなり「失敗」とは、エンギでもない、と思われる向きもおありでしょうが、みなさまは成功から学ぶタイプですか?それとも失敗から?
もちろん、ご自身の体験であれば、成功からも失敗からも多くを学んできて、今のみなさまがおありなのだと思います。
しかし、人から聞かされるお話の、成功談と失敗談、どちらが学ぶべき点が多いか?
世の中、書店やネットで「私はこうやって成功した!!!」的ノウハウ本があふれ、目からウロコの気づきがあちらこちらに転がっておりますね。
幼少時から伝記物語の類が大好きであったワタクシも、何をかくそう、このテの成功者のお話にはめっぽう弱く、読めば読んだですぐさま影響感化され、3日ならぬ1日くらいは成功者の心がけを実践するのでございます。(ああ、『お釈迦様』とかいう伝記本を読んだときは、一週間近く、ささいなことで腹を立てない、を実行した小学3年生・・・あれが一番長かった)。
しかし、なにぶん、続かない。
あら、一緒にしないでよ、と思われるでしょうが、どうもこれはワタクシの根性のなさの問題だけではないと、(いや、それもかなりありますが、でも決してそれだけではないと)、そう思うのでございます。 かんたんに申し上げると、成功したやり方をいきなり実行しようとするのは、今の自分が飛べるハードルの高さよりずっとずっと高いハードルをいきなり飛ぼうとするようなものではないかと。実は、売れている成功本や人気サイトのブログでは、いきなり「私はこうやって成功した!」ではなく、試行錯誤した経過や、失敗した例を織り交ぜながら、成功にいたる方法が示されているのが常なのです。
成功だけが書かれた成功本や成功話は、あまり読まれないのですね。
成功のエッセンスだけを語られても、そのときは「すばらしい!ぜひぜひワタクシもあやかりたいワ~~」(春野の実体験)とモチベーション向上に役立っても(それはそれでカンフル剤としてと割り切ればOK)、長期にわたっての効果として役立つかといえば、思ったよりツカエナイ・・・
成功本や成功話から学ぶべき点は、実は「成功にいたるまでの失敗談」にこそあるのでは?とワタクシは考えました。 人間、どうしてもきらびやかなお話、すばらしい行為、に心惹かれるものでございます。
と同時に、「人の不幸は密の味」というアクマ的心情も宿しているのが凡人のサガなのでございましょう。しかし、きらびやかさに目を奪われ、失敗談を単なる「他人の不幸」として楽しむ姿勢では、何も得られず、学べない。失敗談をわがこととして受けとめ、自分だったら、と擬似体験することで、成功に至るそれぞれの鍵が見えてくる・・・のではないかと、そう思うのでございます。
なが~~くなりましたが、ワタクシが中学受験の体験談を書くにあたって、あえて「失敗」という言葉を選択した理由は以上でございます。主旨をくみとっていただき、このサイトがつたないながらも、みなさまの「成功」の糧(の一粒)になれば幸いでございます。余談・・・。そもそも春野家の受験は成功か?失敗か?という話になりますが、これは世間一般の基準で申し上げることができないのではないかと・・・思いますです、ハイ。
「アンタはそもそも幸せなの?不幸なの?」と聞くようなものでして、成功か否かを決めることができるのは、受験したご家庭のみではないかと僭越ながら思うしだいでございます。
極端な話、第一志望に合格しても、「特待生になれなかった」という理由で「成功」という言葉を拒むご家庭も実際にありましたし、開成、桜陰合格でも、テストのとき万全ではなかった、自分のチカラが発揮できなかったと悔やむお子さまも(ごくごく少数ですが)いらっしゃいます。
逆に我が家のように、(一般的な見方はさておき)本人の意向と親のニーズが一致した結果、ととらえ、「成功!!!」と思いこんでいる例もあります。親も子も、結果にそれなりに納得できたら、それは良い受験であり、「成功!!!」。でよろしいのではないかと。どうか、みなさまも良い受験を!この業界に愛着をもつ者として、また子どもを愛する者として、
中学受験されるご家庭の幸せを心より祈念し、全力で応援いたします!!!
春野 陽子のプロフィール
日能研国語講師として、昨年度までの約10年間、主に6年生の中学受験指導を担当。
その間、長男(SAPIX)、次男(日能研→SAPIX→市進)の中学受験を体験。
2012年度から中学受験個別指導塾ドクターの株式会社ドクターに非常勤講師として勤務。