みなさん、こんにちは。受験ドクターのAです。
受験ドクターで算、国、理、社の四科目を指導させていただいている幸せな講師です。
今日は、社会の年号についてお話ししたいと思います。
おそらく、受験生のみなさんは頑張って覚えていると思います。
楽しくて夢中で学習しているお子様もいれば、どうしてこんなに覚えなければならないのかと苦労されている生徒様もいらっしゃると思います。
サピックスの年号表150は覚えるのに苦労した生徒も多かったのではないでしょうか?
そんな中で、よく受ける質問が「年号をどこまで覚えればいいですか?」というものです。
これは答えるのがとても難しい問題です。
正直に申し上げますと、覚えれば覚えるほど得です。
しかし、年号自体が設問として聞かれることはほとんどありません。
私が覚えている、年号自体がきかれたのは
参勤交代が制度化されたのは何年ですか?1635年
大日本帝国憲法が発布されたのは何年ですか?1889年
くらいです。
年号自体は聞かれませんが、年号に関してどのような出題がされるかというと、こういった具合です。
凄く難しいのでもちろん出来なくて構いません。
②桜田門外の変
③生麦事件
④四国艦隊下関砲撃事件
⑤安政の大獄
⑥長州外国船砲撃事件
この問題は中学受験レベルを超えているのですが、説明します。
まず、2つずつのセットを作ります。
これは中学受験レベルです。
まずは⑤安政の大獄と②桜田門外の変がセットです。
1858年に勝手に日米修好通商条約を結んだ井伊直弼は、開国反対をことごとく処罰していきます。これが安政の大獄(1858~1859)です。
そして、この処罰に対する報復が、水戸藩浪士による井伊直弼の暗殺です。これが桜田門外の変(1860)です。
次に③生麦事件と①薩英戦争がセットになります。
桜田門外の変以降、幕府の権威は下がっていきます。そして、薩摩藩の武士がイギリス人を切りつけてしまう生麦事件(1862)が起こります。
当然、イギリスは激怒し、薩英戦争(1863年8月15~17日)が起こり、薩摩藩は負け、攘夷(外国を排除すること)は無理だと気付き倒幕運動に向かいます。
最後に⑥長州外国船砲撃事件と④四国艦隊下関砲撃事件がセットになります。
攘夷派だった長州藩が外国船砲撃事件(1863年5月10日)を起こします。
当然、報復がきます。翌1864年イギリス、フランス、オランダ、アメリカによって下関を砲撃され、攘夷は無理だと気付き倒幕運動に向かいます。
よって、答えとしては⑤→②→③→⑥→①→④となるわけです。
この問題は中学受験レベルを超えていますが、私が何を言いたかったか!!
それは
流れが大切!!!
細かい年号を覚えておけば確かに何も考えずに答えを出せますが、逆に言えば、流れを覚えていれば、細かい年号を覚えておく必要はないと言えます。
今年2017年慶應中等部で出題された問題を紹介します。
2 日本国憲法が公布される
3 日ソ共同宣言が発表される
4 日中共同声明が発表される
5 サンフランシスコ平和条約が結ばれる
一つ一つは非常に基本的な年号です。
1 日本が国際連合に加盟する→1956年
2 日本国憲法が公布される→1946年
3 日ソ共同宣言が発表される→1956年
4 日中共同声明が発表される→1972年
5 サンフランシスコ平和条約が結ばれる→1951年
お気づきだと思いますが、慶應中等部がきいているのは極基本的な年号と
1 日本が国際連合に加盟する→1956年
3 日ソ共同宣言が発表される→1956年
の流れが分かっているかです。
当然、日ソ共同宣言によりソ連との国交が回復し、関係が正常化したため、ソ連が日本の国際連合への加盟を認めたという流れになるわけです。
<まとめ>
年号は細かく覚えておくと確かに便利だが、中学受験では、歴史の流れを掴むことの方が大切だし、勉強していて楽しいはずです。
少しでも歴史の勉強のお役に立てればと思っております。それでは失礼いたします。