みなさんこんにちは。受験Dr.国語・社会科の天野源太郎です。
一週間前の金曜日(2/23)は天皇誕生日でしたね。今回は、新6年生が歴史学習の2周目に入ることの多いこの時期に役立つ、よく出る古代の天皇の名前と事績の整理法を紹介します。
以下、私を模した「先生」と架空の生徒二人(「太郎」と「花子」)の会話形式でお送りします。
先生 「突然だけど、一週間前の金曜、2/23日は何の日だった?」
太郎 「受験Dr.の全国オンラインの日!(ドヤ顔で)」
先生 「Dr.の生徒としての模範解答!(笑) でも今聞きたいのは、受験で問われる、祝日の名前だよ。」
太郎 「あ、富士山の日か!」
先生 「それもそうだけど、それが祝日になっているわけではないよな?」
花子 「天皇誕生日でしょ?」
先生 「その通り!『予習シリーズ』※を使って勉強している花子さんはちょうど先週日本国憲法における天皇の役割を学んだと思うけど、なんだったっけ?」 ※四谷大塚・早稲田アカデミー系列の塾の標準テキスト
太郎 「あ、それなら俺も戦後史で学んだから知ってるよ。「日本国の象徴」でしょ?」
花子 「勝手に答えないでよ~。それと「日本国民統合の象徴」でもあるよね」
先生 「二人ともよく勉強しているじゃないか。しかし今の天皇陛下の誕生日が、同じく「日本の象徴」と言われることも多い富士山の日とは、奇跡的だね。今の陛下は登山好きでも知られているし。」
花子 「そうなんだ!でも確かに象徴同士で覚えやすくてラッキー♫」
太郎 「でもさ先生、最近の天皇は元号と同じ名前になるからまだ覚えやすくていいけど、昔の天皇の名前、なかなか覚えられなくてしんどいよ。特に「武」がつく天武とか聖武とか桓武とかごっちゃになる。」
先生 「そうだよな。それぞれ飛鳥・奈良・平安の各時代を象徴するような超重要天皇なんだけど、毎年その三人の天皇をごっちゃにする間違いの、なんと多いことか。
そこで考えたんだけど、天武天皇(飛鳥時代)→聖武天皇(奈良時代)→桓武天皇(平安時代)の順で、「天召喚して武力アップ」とでも覚えるのはどうだ?
少し細かい知識まで問う学校を受けるなら、文武天皇(飛鳥時代)も入れて、「天文召喚して~」とすればいいんじゃないかな。」
太郎 「おお!なんか宇宙のパワーを手に入れてラスボスを倒せる感じ。かっこいい!!」
花子 「…そういう子どもだましの語呂合わせ、きらいなんだよね。」
先生 「だまされない子どもってこと?(笑) まあその気持ちもわかるし、それに上の語呂合わせは順番を覚えられるだけだしな。せっかくなので、ここで一歩進んだ知恵をさずけよう。 二人は、天皇の名前って、いつ決まるか知ってるかい?」
太郎 「そんなの、それこそ天皇誕生日、生まれた時じゃないの?」
先生 「でも、皇族は一人じゃないし、生まれたときから天皇になるって決まってるわけじゃないだろ?」
花子 「あ、じゃあ即位するとき?」
先生 「なるほど、こんな天皇になりたいって願いをこめて決めるわけか。先生のペンネームも、受験Dr.の講師になった時に決めたしなあ。」
太郎 「なんで天野源太郎にしたの?」
先生 「そりゃもちろん、天の源のエネルギーをもらったろう!て感じよ。」
花子 「…(あきれ顔で)もう、先生が子どもなんじゃないの?でも、「なるほど」って先生が言うときはだいたい不正解の時だから、生まれた時でも即位の時でもないなら、天皇の名前は、死後に決まるってこと?」
先生 「大正解!たいていは死後に家臣たちが、その天皇のやったことや時代背景を振り返りながら「〇〇天皇」という名前を贈るんだよ。ただし、さっき太郎君が触れてくれたけど、明治天皇以降は、元号が明治の時の天皇を明治天皇と呼ぶように、元号が決まった時に自動的に決まる※から、死後に決まるわけではない。あとは、後醍醐天皇のように、生前に自分で希望を出して決まった天皇もいるけどね。」(※天皇一世代につき一つの元号ということで、「一世一元の制」と言う)
太郎 「てことは、天皇の名前に使われている漢字の意味を考えれば、混乱せず覚えられるってこと?」
先生 「そう。ただ、なぜその名前にしたかという理由はきちんと記録が残っていないことが多く、わからないことも多いので、中学受験生にもわかりやすい説だけを先生がピックアップして伝えていくぞ。」
花子 「まず、基本的に「武」がつく天皇達は、「武」のイメージ通り、いずれも力強く時代を切り開いていくような画期的なことをした天皇たちだよね?」
先生 「!?…花子さん先生の台本読ん…ゴホン、すごい分析力だね!まずは「武」をそうとらえた上で、その前についている漢字の差を見ていくことで、それぞれがしたこととセットで覚えていこう。」
太郎&花子 「はーい!」
天武天皇
先生 「まず天武天皇と聞いて思い浮かぶことは?」
花子 「672年の壬申の乱!天智天皇の跡継ぎ争いで、天智天皇の弟の大海人皇子が、息子の大友皇子に勝って、天武天皇になったんだよね?」
先生 「すばらしい!そして、神のような存在として讃えられるほど別格の存在となった。いつから「天皇」という呼び方が使われるようになったのかについてはいろんな説があるんだけど、「天皇」と書かれた木簡も見つかっているので、天武天皇の時に使われていたのは確実と言われてるよ。」
太郎 「かつて「大王(おおきみ)」って言われてたのと「天皇」ではレベルが違うんだね。」
花子 「もう蘇我氏みたいな存在※はいないのね?」※大化の改新前の蘇我氏は、大王(天皇)と同レベルの力を持っていたため、天皇中心の中央集権国家を目指す中大兄皇子と中臣鎌足らによって滅ぼされた。
先生 「うん。飛鳥から奈良時代にかけては、中央(都)の天皇のもとに人材と情報と税を集め、天皇の命令が全国に行き渡るような中央集権国家を作って、中国に負けないようにすることが目指されていた。」
太郎 「白村江の戦いでは唐に負けちゃったもんね。確か兵隊集めるのに2ヶ月もかかったんだっけ?」
先生 「スマホ世代には2ヶ月でも遅いか(笑) 実際は2年ね…兵士にふさわしい男性がどこに何人いるかも分からなかったから、中大兄皇子は敗戦後に即位し(天智天皇)、日本初の戸籍を作った。さらに水時計を作り、同じ時間に中央の役所に集まって働く役人を生み出すなど、矢継ぎ早に中央集権化を推し進めた。」
太郎 「天智天皇の智慧のせいで、俺たちをしばる時計なんてものが生まれたのか!天智って「天の智慧」って意味なのかもしれないけど、俺にとっては悪魔の智慧だな。」
先生 「それで太郎君は遅刻魔になったと(笑) でも実際太郎君みたいな反発も生まれたみたいで、中央集権国家の中心となる絶対的な天皇の地位の確立は、壬申の乱で圧倒的な武力とカリスマ性を見せつけた天武天皇でなければ無理だったんだね。“天”皇を生み出した“武”ってわけだ。」
文武天皇
太郎 「ところで、次の文武天皇って、誰だっけ?」
先生 「知らなくても仕方ないけど、知っておくと差がつくよ。701年に大宝律令が制定された時の天皇だよ。」
太郎 「文武両道だったのかな?」
先生 「わからないことも多いのだけど、天武の孫として「武」の字を受け継ぎつつ、何よりも“文”書による政治を完成させたっていう意味だと考えるといいかな。」
花子 「大宝律令が「文書」だってこと?」
太郎 「そう。国の根本的な法やルールを文書の形でまとめたのが律令だ。古墳時代の氏姓制度※のころは、基本的に地方のことはその土地の豪族たちに任せていたから口伝えでもなんとかなっていたけれど、中央集権国家として全国の情報を中央に集め、天皇の命令を正確に全国に行き渡らせるためには、文書を使わないとだめだったんだ。」※氏姓制度…大王が各氏族(氏=うじ)ごとに役職(姓=かばね)を与える制度
太郎 「伝言ゲームだと中央集権国家は成り立たないってわけね。」
先生 「そうだね。ちなみにこの大宝律令を唐に報告した時に、「日本」という国名も正式に知らせることになった。倭と倭王ではない日本と天皇というセットが完成したんだ。」
聖武天皇
太郎 「次の聖武天皇の「聖」にはどんな意味があるの?墾田永年私財法(743年)とか全く関係ないよね…」
先生 「聖徳太子の「聖」と共通点があるよ。二人が政治をする上で大切にした「聖なるもの」といえば?」
太郎 「あ、仏様?」
先生 「正解!仏であり、仏教。聖徳太子は初めて仏教を政治に取り入れ、「現存する世界最古の木造建築」といわれる法隆寺を作っているよね。豪族たちは古墳ではなく寺院を競って作るようになった。そして、聖武天皇は、戦乱や疫病で苦しむ人々の不安をしずめるため、全国に国分寺・国分尼寺を作らせ(741年)、東大寺の大仏をつくった(完成は752年)よね?奈良時代は仏教政治の時代だ。」
桓武天皇
花子 「桓武天皇は、794年に平安京に都を移したから、京の家にたくさんある“垣”根と関係あるの?」
先生 「そういうイメージで覚えられるならそれでもいいけど、「垣」じゃなく「桓」だからね。「桓」という字は、「印として立てた木」とか「大きい」「勇ましい」という意味で、「武」の字とセットで蝦夷(えみし)征討をどんどん進めて領土を広げた天皇という意味合いが強いらしい。平安京の建設も、木を使って大きな都を作ったということで理解できるかもね。」
太郎 「あ、蝦夷を征服するために征夷大将軍という役職を作って、阿倍仲麻呂に与えたんだっけ?」
先生 「麻呂ちがいで坂上田村麻呂な!途中まで完璧な説明だったのに…(笑) 阿倍仲麻呂は、遣唐使で唐に行って日本に帰れず、唐の皇帝のもとで一生働いた人ね。「天野源ふりさけみれば…」の短歌の人。」
太郎 「天の原でしょ!!にしても「桓」の字は国語で習わないし、今までの天皇よりちょっと覚えにくいな…」
先生 「ならこんなのとセットで覚えたらどうだ?794年を覚えるのとあわせて、「鳴くよ 平安 かん高く!」
そして唐の皇帝風の衣装と冠を身につけて律令国家を立て直そうとした天皇でもあるから、「平安完成、感無量!冠(かんむり)かぶって泣いちゃった。」とか(感無量な表情)」
花子&太郎 「(もうダジャレ言いたいだけじゃん…)…先生、さようなら!!」(逃げ帰る)
いかがでしたでしょうか?最後にまとめておきましょう。
中学受験頻出!新しい時代を切り開いた「武」のつく天皇たちの整理ポイント
以上はいずれも古代の天皇ですが、院政を始めた白河天皇以降は、院の場所の名前からとるのが通例となり、土地を重視した中世(武士達の「一“所”懸命」の言葉が象徴的)の特徴をよくあらわしているといえます。
それでは、またお会いしましょう。