W杯では、日本チームは大方の予想に反して大健闘しました。
その最大の要因は戦略にあるのではないかと思います。
出場32チームの中で日本チームは体格や技術の点で一番劣っていました。そこで、守備を徹底的に固めカウンターアタックの一撃にかけるという作戦をとり、それがまんまと当たりました。
つまり、弱いチームでも「戦略」次第では、強いチームと互角に戦えることを世界に示したのでした。
そこで、今回も戦略についてもう少しお話します。
いまA軍とB軍が戦うと仮定します。兵隊の数はA軍は5人、B軍は3人だったとします。ここでは話を簡単にするため、武器はどちらも同じ性能のものを使用すると仮定します。
さて、もし、一騎打ちで戦うなら、A軍はB軍に勝利します。そして、A軍の残存する兵の数は、
5人-3人=2人
となります。一騎打ちでは、戦力は兵隊の数に比例します。これを「一騎打ちの法則」といいます。
ところが、武器が発達して戦いの様相が一騎打ちから変化すると、戦力は兵隊の数の2乗に比例します。これを「ランチェスター2乗の法則」といいます。
この場合、A軍はB軍に圧倒的に勝ちます。そして、A軍の残存する兵の数は、
5×5-3×3=25-9=16=4×4
で、4人となります。つまり、この場合、A軍は1人失うだけでB軍を全滅させることができます。
兵隊の数が劣勢にある弱者は「一騎打ちの法則」が成立するような戦略を選択しますので、これを「弱者戦略」と呼びます。また、兵隊の数で優勢である強者は「ランチェスター2乗の法則」が成立するような戦略を選択しますので、これを「強者戦略」と呼びます。
織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いは「弱者戦略」のお手本のような例です。
駿河の戦国大名今川義元は3万の大軍を率いて上洛の途上にありました。これを迎え撃つ若干26歳の信長は兵力僅かに2千。兵力差は歴然。まともに戦っては勝てません。
そこで、信長は、今川の大軍を田楽桶狭間という狭隘な窪地に誘導し、敵の兵力上の利点を帳消しにし、しかも、敵が油断している時間帯に嵐の中今川義元の本陣のみを集中攻撃して、見事戦史に残る大逆転劇を演じたのでした!
さらに、信長が偉いのは、大博打のような弱者戦略をとったのはこの一戦のみででした。他の戦いでは、武器、兵士の数で敵を圧倒する正攻法である強者戦略を取り続けたことを付け加えておきます。