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投稿日:2011年03月05日

テーマ: 日記 / 社会

大学入試カンニング事件に思う

京大や早稲田大学などの大学入試で携帯を使った不正行為をしたとして浪人生が逮捕されました。
容疑は「偽計業務妨害」。

これは、不正な手段で大学入試という業務を妨害したということです。

 

では、なぜ入試でカンニングはよくないのでしょうか?

まず、カンニングは倫理的・道徳的によくないからです。
学問の世界では、「知的誠実」ということが大前提になっています。
コピペレポートのように他人の論文をまるで自分のオリジナルのようにすることは「剽窃」ですし、

ウソのデータに基づく実験結果は「捏造」です。

そういうことをする者は学問の世界では誰からも相手にされません。

 

また、入学試験は公正中立で成り立っています。

それは、入学する学生の質をある一定以上に保証するためです。

たとえば、おカネが流通するのも皆がおカネの価値を信用しているからです。

もし、その中に大量の偽札が入っていれば誰もおカネを信用しなくなりおカネという制度自体成り立たなくなります。
同様に、入試が公正中立でなくなれば入試の意味自体がなくなってしまいます。

 

このように、カンニングは確かによくない行為です。

しかし、カンニングは「科挙」の昔から既にあったということが記録に残っています。

試験とカンニングの関係は歴史的にも長いのです。

 

では、なぜ試験とカンニングはそんなに長期にわたって切っても切れない関係であったのでしょうか?

それは、おそらく、いままでの試験が「暗記」中心だったからだと思います。

自分の頭に覚えきれない知識を紙や衣服に科挙の時代はひそかに書いたのでした。

そして、今回の事件では、携帯という現代のIT技術を使ったのでした。

 

ところが、IT・情報化時代の今日では知識を暗記する必要性は減少しています。

なぜならパソコンで知りたい知識はすぐに手に入るからです。

 

それでは、いっそ「カンニング」をテストで認めてしまったらどうでしょうか?

IT技術などあらゆる手段・方法を駆使して必要な情報を試験時間に収集することを認めてしまうのです。
つまり、受験生に堂々と「カンニング」させるのです。
そして、そうして集めた情報をもとに分析・思考し、自分の言葉で表現する力を試すテストが情報化時代には必要なのではないでしょうか。

 

今回の「カンニング」事件は従来の暗記偏重・知識詰め込み型の入試制度に一石を投じるものだと筆者は思います。