3月11日午後2時46分、日本観測史上最大規模のM9の地震が発生しました。
その時、筆者は新6年生の生徒ひとりと社会の個別授業の真っ最中でした。
彼女はその日卒業式の練習のため学校が短縮授業となり、午後1時から5時までドクターで社会の勉強をすることになっていました。
そして、あと15分ほどでひとコマ目が終わるという時に、机とイスがかすかに揺れ始めました。
初期微動は1分近く続きましたので、震源は遠い所にあるはずだと思いました。
地震には、P波とS波という二つの波があって、前者は毎秒8キロメートル、後者は毎秒4キロメートルで伝わります。P波ははじめに来る小さな揺れ(初期微動)、S波は初期微動の次に来る大きな揺れを引き起こします。
仮に、初期微動が1分続いたとすると、P波とS波が震源から東京まで伝わってきた距離は一定ですから、P波の半分の速さのS波が震源から東京に到達するまでには倍の2分かかったということです。
よって、東京から震源までの距離は、
4×2×60=480キロメートル
となります。
揺れはやがて大きくなってきましたので、女の子と筆者は机の下にもぐりこみました。
そこで息をひそめていると揺れは収まりました。
ああ終わったと思ったのもつかの間。
しばらくして二度目の大きな揺れが来ました。
女の子と筆者は再び机の下にいっしょに入りました。
事務室から女の事務員さんの「きゃあ」という悲鳴が聞こえてきました。
その時、先月ニュージーランドで起こった地震のことが筆者の脳裏をかすめました。
コレハヤバイカモ。。。
その時代々木の教室にいた同僚たちのことも書かないわけにはいきません。
元サーファーのM先生は、大きな揺れにもかかわらず懸命に非常口を確保していました。
さすがに波乗り上手というわけでもないですが、打ち寄せるP波、S波をバランスよくさばいていました。。。
また、塾長のH先生は、「大丈夫、大丈夫」と大きな声で女の子を励ましていましたが、それは、自分自身に向かって言っているようにも聞こえました。。。
ようやくにして大きな長い長い揺れが収まりました。
女の事務員さんのひとりは目に涙をためていました。
一方、新6年生の女の子はディズニーシーのアトラクションみたいと筆者には笑って言いました。
けれども、彼女の足は小刻みに震えているのがわかりました。
女の子は、狭い机の下でその小さな体で必死に恐怖に耐えていたのだなと思いました。
結局、女の子はその日地下鉄が再開するまでドクターでお預かりして、職員のひとりが彼女の最寄り駅まで無事に送り届けました。
東京では、JRが終日運転を見合わせたため多くの人が「帰宅難民」となりました。
筆者もその一人でした。
しかし、その後インターネットやテレビで東北地方のあまりにも悲惨な状況を知りました。
ニュースのアナウンサーの次の言葉が筆者の胸に焼き付いています。
「泣いている子供がいたら抱きしめてあげてください」
「困っている人がいたら助け合ってください」