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投稿日:2019年05月03日

テーマ: 国語

読書が偏差値を上げる??

こんにちは!
先日まで、花冷えという言葉がぴったりの肌寒い気候が一転、シャツ一枚でも出歩けるような陽気に。気分も高揚してきます。

さて、昔からよくご相談に上がる中に、「国語の成績(偏差値)が上がらないのは、うちの子、読書しないからでしょうか」というものがあります。いまこのブログを読まれていらっしゃる方の中にも、思い当たる方がいらっしゃるかもしれません。そこで、きょうは「読書と成績の相関性」というものを、私なりに検証してみたいと思います。

読書 偏差値1                  

まず、そもそも読書と一言でいっても、対象や分野によって、ここで申し上げる小学生の読書に入れていいのか、という問題がありそうです。
マンガは・・・残念ながら読書とは言えそうにないです。歴史マンガや「ドラえもんシリーズ」「ちびまる子ちゃんシリーズ」は、たしかに勉強に関連するものではあります。しかし、あくまでも知識の定着のために利用するサブ教材ととらえるのが妥当でしょう。

読書 偏差値2                                  

では、映画やアニメの原作本、いわゆる「ノベライズ(本)」はいかがでしょう。これは文字だけを追いかけるものであるので、読書の対象に含めてもよさそうです。

では、本題に。読書量と国語の成績に相関性はあるのでしょうか。私の結論は、「No」です。理由を以下に述べたいと思います。

まず、受験国語という科目は、なにを問うている科目なのでしょうか。
説明文(論説文)であれば、「論理」のながれ(結局何が言いたい文なのか)をとらえること、また、そのために分析的に「論理」を読み進められること。これらのちからが問われているといえます。また、物語文(小説)であれば、登場人物の機微な心情の変化、主人公を取り巻く環境の影響力、表面には出てこない裏の心情というように、「心情」をとらえることが中心となるでしょう。そして、いずれの分野でも重要なことは、各問題において聞かれていることを「的確に」とらえ正解を導き出すこと、となります。
さて、これらのちからを、仮に読書により鍛えることが可能であるなら読書は有効な手段であるということになります。
しかし、ここで冷静になって考えてみると、上で述べた要求されているちからが読書により鍛えられるでしょうか。
残念ながら、関連性は薄いと言わざるを得ません。
なぜなら、説明文の書籍であればその文章を読んだことで新たな知識が身につき、「そうか!そういうことだったのか!」という「気づき」につながるのが読書でしょう。物語文であれば、主人公やこれを取り巻く登場人物に自己を投影し、感動する、教訓を得る、というのが読書となるはずです。

読書 偏差値3

さて、お気づきになられましたか?言ってしまえば、読書と受験国語の本文を読むというあいだには、「読む」という行為自体の質の違いが存在するということになるのではないでしょうか。

では、読書は無駄なのでしょうか。いや、そんなことは申し上げておりません。中学受験で上位校の試験問題をご覧になられたことがある方も少なからずいらっしゃると思います。上位校になればなるほど、内容もさることながら、本文の長さだけで圧倒されるほどのものです。そして、ふだんの読書習慣がいかされるのはここです。長文をいとわずに最後まで読み切る「気力」が培われます。したがって、無駄なものとはならないのです。
しかし、残念ながらほとんどのお子様に言えることは、読書によって培われるちからはここまでだと思われます。

では、成績=偏差値を上げるためには何が必要なのか。
まず、本文を読むうえでの「お作法」を身につける必要があります。そして、各問いを解くうえでの「お作法」を身につける必要があります。「お作法」と申し上げたのは、テクニックという言葉に抵抗感がある方が少なからずいらっしゃるからです。テクニックと同意です。
これが身についていないお子様はいつまで経っても場当たり的に解く、いわば自分の頭で解くクセが抜けないまま中学受験ひいては大学受験を迎えてしまうことになります。

「お作法」、知りたいですか?残念ながら紙幅に限界が…。これは次回にとっておきましょう。
さいごに。国語という科目は4教科の中で、唯一、答えそのものや答えのヒントが問題に示されている科目である。あとは、その「宝」を見つけ出すだけである。

では、次回をお楽しみに。

国語ドクター