大層大仰なタイトルを付けてしまいました。
何のことはなし、一語文の過剰な使用が目につく生徒がいる、という話です。
一語文とは、主述関係を用いずに使用する文のことで、良く幼児が、「ママ」「おんも」「だっこ」等という、アレです。
勿論、大人だって一語文は良く使います。
お父さんがお母さんに言う「飯は?」(最近のお父さんはもっと気を使っているでしょうか…?)
お母さんが遊びに行こうとする我が子を止めて言う「宿題!」(お母さんの一語文には有無を言わせない迫力があります)
友達と旅行の計画を立てている時の「どこ行く?」「屋久島!」(個人的な希望です)
等々、挙げれば枚挙に暇がありませんよね。
しかし、全ての会話が一語文というのはあり得ません。
何故なら、一語文で通せる相手と通せない相手がいるからです。
一語文で通せる相手というのは、ある程度の共通認識があって、良くも悪くも”甘え”が利く相手です。家族、友人、恋人…こういう相手とは、むしろ一語文で話すことによって、互いの信頼関係や気安さを確認しあうことができるのだと思います。
けれど、世の中には圧倒的に、それ以外の人たちの方が多いわけで、そういう”共通認識を持たない”人に自分の立場を説明し、意見を主張するためには、きちんと誰にでもわかるように話す必要があります。その為に、主語と述語をはっきりさせ、また、副詞や形容詞を的確に使い、時には接続詞で文章のつながりを明確にして言葉を発していかなければならないわけです。
通常、一語文のみでの会話は、幼児後半期に卒業するようです。
それ以降は、二語文や、より複雑な文を作れるようになり、私たちが見ている5・6年生になる頃には、ある程度のディスカッションが可能になる。…筈なのですが。
一語文が目立つ生徒には共通する特徴があります。
まず、話を最後まで聞かない。(文章も最後まで読まない)
次に、説明を求められると途中で放棄する。(「もういい」「わかんない」等)
そして、ワンステップで答えに辿り着く問題は解けるけれど、手順をいくつも重ねていかなければならない問題は苦手。(…というより簡単に適当な答えを出して取り繕おうとする)
要するに、頭を使うことを拒否する傾向があるように見えます。
歩かない人の足が痩せる様に、使わない頭脳が発達しないのは道理です。
そして、言語は思考のための道具でもあり、貧弱な言語を使用する者が貧弱な思考しかできないのもまた道理です。
因みにここで言う”貧弱な言語”とは、言葉を発する際の、語彙力や文法力の欠如というより、むしろ”他人”に伝えようとする、あるいはその本意を汲み取ろうとする努力と配慮の欠如だと思っています。
中学生や高校生になれば、どこかで一度くらいは切実に何かを考えなければならない場面に遭遇するでしょう。
頭を悩まし、あるいは心を痛めながら、その時きっと考える力を獲得するのだと思います。
けれど、そのタイミングを待っていたら中学受験は過ぎてしまいます。
ご家庭の中では、一語文で事足りるかもしれません。
けれども、ぜひ普段の生活から、長い文章を組み立てる訓練をしてみて下さい。
つまり、長く続く会話をして下さい。
もし、一語文で終わらそうとするようだったら、しつこく聞いて下さい。
面倒がるようだったら、話題を変えてでも聞いて下さい。
好きなマンガのことでも、テレビのことでも、何でも構いません。
上手く言葉に出来ない様だったら、補足してあげて下さい。
新しい表現も手に入れられて、一石二鳥です。
それだけで全て解決!…とは行かないでしょうが、私は、自分の思っている事を説明しようとするようになっただけでも進歩だと思います。