みなさん、こんにちは。受験ドクターの亀井章三です。
4月に入り、学校の新学期もスタートしましたね。4月はあっという間に連休
がやってくるので勉強する時間が短いのですが、いろいろテストも行われます。
スケジュールをしっかり確認し、受けたテストの復習は連休中の時間を有効
に使って取り組みましょう。
今回のテーマは、「塾の先生はどんな受験勉強をしてきたの?③」です。
受験勉強を経験したからわかる大変さ、そしてそれを乗り越えたから
わかる努力のコツをちょっとでも伝えられたら、と思います。
私の受験経験は、小学校受験・中学校受験・大学受験になります。
これらを順番に振替っていきたいと思います。
(前回までのあらすじ)
小6になり受験塾に通うことになった亀井少年。苦手の国語も何とか
克服し、いよいよ受験を迎えることになりました。
最初の入試は2月上旬。奈良県の名門進学校、東大寺学園!
大阪や兵庫に住んでいる受験生からすると、事前の練習校のような
感覚でしたが、東大寺学園は灘の練習どころではなく、かなり大事な
試験でした。というのも、ここでダメだったら灘はあきらめて他の学校を
受けることを親から告げられていたからです。
近鉄電車を乗り継ぐこと1時間半。電車の中ではたぶん理社のテキ
ストを読んでいたような。緊張はしていたかもしれませんが、それよりも
「やったるで~!」と自分を鼓舞させるのが好きな性格だったので、
電車の中でも早く試験を受けたい気分になっていました。
ここで今回のポイント
緊張するのは、「やり残したことがある」「不安な部分がある」から、
自分に自信が持てないことで起こりえます。
そこまで積み重ねてきた努力があれば、それを思うだけで自信が持てます。
緊張しやすいと思っている人は、自信が持てるだけ努力してみましょう。
また、練習を重ねて自信をつけましょう。
試験の内容はほとんどおぼえていませんが、4科目ともそんなに失敗した~、
ということもなく、いつも通りできたんじゃないかな?という具合でした。
算数は塾の授業で採点してみたら満点取れていたので、不安はほぼなかった
です。
で、2月13日合格発表当日。また1時間半電車に乗って見に行きました。
結果は合格。喜びよりもホッという安堵感。まずは初戦突破です。
続いての入試は、鹿児島ラ・サール!
うちの父親は仕事柄、西日本に行くことが多く、ここは父親の希望で受けた
と思います。前日に飛行機で鹿児島へ。学校近くのホテルに宿泊しましたが、
その頃は勉強もかなり仕上がっていましたので特にすることもない状態。
父親は近くのパチンコ店に行ってしまったので、ぼーっと窓の外の桜島や、
キャンプに来ていた近鉄バファローズの選手を見て時間を過ごしていました。
翌日、朝から試験を受け、昼過ぎに終わるとすぐに空港に移動。
観光する間もなく大阪に戻って、夕方から塾に行ったと思います。
この頃はとにかく灘に向けての勉強ばかりでしたので、この入試も模試
のような感覚。その日の夜に自己採点して手ごたえは感じていました。
数日後レタックスが届き、ラ・サールも無事合格。
やれやれ一安心という心境でした。
ところで、私はかなりスピーディーに問題を解く(読むのも速い、書くのも速い)
タイプでしたので、必ず問題用紙には自分の答えを書き写していました。
国語も記述問題は必ず下書きを問題に書いてから、字数を調整し推敲し、
答案用紙に清書するようにしていました。何字の記述であっても。
国語のこのやり方が誰にでも有効であるかはわかりませんが、算数に関して
は暗算が速く正確であることは間違いなく大きな武器だったと思います。
そろばんや公文式をしていたわけではありませんが、3けたの足し算・引き算、
3けた×1けたのかけ算は常に暗算で取り組んでいたことが計算力を高めて
いたと思いますし、暗算を常日頃行うことで、計算の工夫の仕方をいつも意識
し、よく使う数値はおぼえていったと思います。
さあ、あとは灘を迎えるだけ!
ですが、ここで両親からプレッシャーがかけられます。
「灘あかんかったら、ラ・サールやからな」
え~~っ!6年間の寮生活!?小学6年生男子には厳しい現実です。
これは何としてでも灘に受からなければ!ここで最後のやる気スイッチが
入りました。
そして、3月。灘中の入試当日を迎えます。
今回のお話はここまで。
いよいよ灘中入試本番!2日連続という独特な入試形態の中、どうやって
合格を勝ち取ったのか?そして合格の瞬間、何を思ったのか?
次回、中学受験編④、お楽しみに!