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投稿日:2025年03月25日

テーマ: 国語

中学受験 国語記述で何を書き、何を捨てるか

みなさんこんにちは。受験Dr.の久米です。
今回は、国語記述で何を書くべきかについてお話をいたします。

国語の記述問題においてまず最初に行う作業は、
設問を答えるにあたって参考になる箇所を本文から見つけることです。
参考箇所を見つけたら、設問の条件に従って、
本文から要らないところを外し、必要なところを補って記述の答案を作成することになります。
当然、本文のどの部分を捨て、どの部分を残すかの取捨選択をしなければいけません。
次の問題と解答例を見てください。

例題
 哲学の問題が、現実の文脈から切り離され、個別のテーマに分かれていることは、学問として純粋で専門的に高度であるためには必要だろう。
 けれども他方でそのことは、個々のテーマに関して、仮に何か 重要な結論や洞察が歴史上の 哲学者によって提示されていたとしても、個々人の現実生活には大きく影響しない、ということにもつながる。
 もちろん、哲学研究の目的はそんなことではなく、思想上のさまざまな問題を明らかにすることであり、現実の生活に生かせるかどうかなど、どうでもいいという考え方もある。私自身、そういう考え方にも共感する。
 だが、哲学の問題にせよ、それ以外の哲学的な問いにせよ、現実の生活に関する疑問から出発すれば、そこで問い、考えたこと、そこで得られた洞察は、ふたたび現実のコンテクストに戻しやすく、その人の生活にとって、大きな意味をもちうる。だから、いわゆる哲学の問題を考えることよりも、自分自身の問いをもつことのほうか重要なのである。(開智中2024 改題)

問 傍線部で、筆者が「哲学の問題」を考えるよりも「自分自身の問い」を持つ方が重要であると考える理由を七十字以内で説明しなさい。

答案①
哲学研究が現実の生活に生かせるかどうかなど、どうでもいいという考え方もあるが、得られた洞察は、ふたたび現実のコンテクストに戻しやすいから。
答案②
哲学の問題にせよ、それ以外の哲学的な問いにせよ、現実の生活に関する疑問から得られた洞察は、ふたたび現実のコンテクストに戻しやすいから。
答案③
現実の生活に関する疑問から出発すれば、得られた洞察は、現実のコンテクストに戻しやすく、自分の生活にとって大きな意味をもちうるから。

①~③の答案の中で最も得点が高いものはどれでしょうか。
それぞれを見比べ1分間考えてみてください。

それでは解説です。

①は前半の「哲学研究が~考え方もあるが」の部分が不要です。
筆者が考える理由を説明するべき問題なのに、筆者の考えではないことを長々と説明しています。
「○○ではなく△△である」という答え方をするべきなのは、筆者が比較して考えているときです。
そうでないときに「○○ではなく~」の部分を長々と書きすぎないようにしましょう。

②は「哲学の問題~問いにせよ」の部分が不要です。
「○○にせよ△△にせよ」という書き方をしているのは、どちらでもいいからです。
どちらでもいい部分について書く必要はありません

③が一番よい答案です。
①②のような不要な部分がなく、
「自分の生活にとって大きな意味をもちうるから」という結論部分もあります。
結局はどうなったのかを書くことが重要です

まとめます。
国語の記述において、「○○ではないこと」や「どちらでもよいこと」の優先順位は低く、
結局どうなるのかという結論部分の優先順位は高くなります。

それではまた。
受験Dr.、久米でした。

国語ドクター