こんにちは。
受験Dr.の松本 佳彦です。
前回に引き続き、「干支」についてのお話をいたします。
今回のテーマは「十干」です。
「十干(じっかん)」という言葉に聞き覚えがなくとも、「甲乙つけがたい」「甲子園」という言葉には馴染みがあるかと思います。
中国や日本では、前回ご紹介した「十二支」と「十干」を組み合わせて、年や日付を表してきました。
今回はその「十干」についてご紹介いたします。
❶十干とは
古代中国の殷王朝では、太陽が10個存在し、それぞれが1日ごとに交代で昇る、と考えられていました。
その10個の太陽に、「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」という名前が付けられていました。これを「十干」と言います。
後に、万物は「木・火・土・金・水」の5つの元素からなる、という「五行」の考え方に基づき、甲と乙を「木」、丙と丁を「火」…と順番に当てはめ、それぞれを「陽」と「陰」に振り分けました。(陰陽五行説と言います)
十干が日本に入った際、「陽」が「兄」、「陰」が「弟」であると考え、それぞれを読み表しました。
たとえば、最初の「甲」は「きのえ」と読みますが、これは「木」の「兄」、すなわち2つの「木」の内で陽の方を表します。(中大兄皇子の「兄」と同じ読み方です)
次の「乙」は「きのと」と読み、これは「木」の「弟」、すなわち陰の方を表しています。
以下、ひ(火)のえ・ひのと・つち(土)のえ・つちのと・か(金)のえ・かのと・みず(水)のえ・みずのと、と続きます。
10文字それぞれを音読みして、「こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き」とまとめて読む読み方もあります。
(参考…10個の太陽が10日で一巡りすることを「旬」と呼び、これが「上旬」「中旬」「下旬」の由来になっています。「旬」には「日」という字が入っていますね)
❷十二支との組み合わせ
前回ご紹介した十干と十二支を組み合わせ、「甲子(きのえね)」、「丙午(ひのえうま)」のように表します。
それを日時や年に順番に当てはめて数えていきます。
【表1】をご覧ください。
「甲子」から始めて、十干と十二支を順に1つずつ進めていきます。
10番目の「癸酉」の後、十干はまた「甲」に戻る為、11番目は「甲戌」、12番目は「乙亥」となります。
十二支は「亥」の後「子」に戻る為、13番目は「丙子」となります。
この数え方を、「十干」と「十二支」を組み合わせて表したことから「干支(かんし)」と言うようになり、更に十干が「兄(え)」と「弟(と)」に割り振られていることから、これを「えと」と呼ぶようになりました。
さて、ここで1つ問題。
【表1】の「?」には、それぞれ何が入るでしょうか。
整数、特に倍数の考え方を用いると解答が導けます。
「60」は十干の「10」と十二支の「12」の最小公倍数に当たる数です。
ですので、十干、十二支共に、最後にくる「癸」「亥」が当てはまり、読み方は「みずのとい」です。
すると、次の61番目では、十干、十二支共に最初に戻り、「甲子」となります。
このように、「甲子」から始まった年の刻みが、61年目に再び「甲子」に戻ることから、数え年で61歳を迎えることを、「暦」が「還る(かえる)」、すなわち「還暦」と表すようになりました。
(中学受験に役立つ十干十二支)
例1:庚午年籍、壬申の乱(歴史)
日本初の全国的な戸籍である「庚午年籍(こうごねんじゃく)」は西暦670年に作成されましたが、この年は十干十二支だと「庚午」の年でした。
また、大友皇子と大海人皇子の争いである「壬申の乱(じんしんのらん)」は西暦672年に発生しました。
これは先程の「庚午」の2年後であり、十干十二支もそれぞれ、庚→辛→壬、午→未→申と2つ進んで「壬申」の年となっています。
例2:甲乙つけがたい(慣用句)
「甲」と「乙」が十干の1番目と2番目であることから、どちらも優れていて優劣を決められないことを表します。
他にも、全国高校野球の開催地であり、昨年プロ野球で日本一に輝いた阪神タイガースの本拠地球場でもある「阪神甲子園球場」は、完成した1924年が「甲子」の年であった為に「甲子園」と名付けられた、等の例があります。
では、ここでもう1問。
今年は西暦2024年で、十干十二支を用いると「甲辰」と表す年です。
このことを踏まえ、「乙巳の変(いっしのへん)」と呼ばれる事件から始まった歴史上の出来事を、次のA~Dの中から1つ選択してください。(受験Dr.オリジナル問題)
A 大化の改新(645年~) B 前九年の役(1051年~)
C 応仁の乱(1467年~) D 文禄の役(1592年~)
「乙巳」の年に起こったので「乙巳の変」と呼ばれることから、選択肢の中から「乙巳」に当たる年を探すことになります。
「甲」の次が「乙」、「辰」の次が「巳」であり、「乙巳」は「甲辰」の1つ後なので、2025年が「乙巳」に当たります。
十干十二支は60年で1セットなので、後は数列と同じ考え方で、年の差を求めて60で割り……と言いたいところですが、ここで「60年ごとに同じ十干十二支になる」→「60は10の倍数」→「同じ十干十二支になる年の下1桁は同じ」と考えれば、計算をしなくとも、2025年と同じ「乙巳」に当たるのはAの645年、と分かります。
よって、答えは「A 大化の改新」です。
(参考1:中大兄皇子や中臣鎌足らが、蘇我入鹿を襲撃した事件が「乙巳の変」です。)
(参考2:検算をすると、(2025-645)÷60 = 1380÷60 = 23 となり、確かに60で割り切れます。)
新6年生の皆様が多く受験する1月・2月入試は2025年、「乙巳」の年に実施されるので、乙巳の変及び大化の改新と関連付けて覚えておくと良いでしょう。
いかがでしたでしょうか。
十干十二支は古くから伝わる数え方ですが、今でも様々な場面で私たちの生活に根差しています。
十干十二支を用いた表現を目にする機会がありましたら、前回と今回のブログでご紹介した内容を思い出していただけると幸いです。
それでは、今回はこの辺りで失礼いたします。