こんにちは。
受験Dr.の松本 佳彦です。
本日11月5日は「世界津波の日」です。
1854年旧暦11月5日に和歌山県の広村を襲った大津波から人々を救った、濱口梧陵の逸話を元に制定されました。
梧陵の献身的な働きは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「A Living God」という小説により世界中に広まり、日本でも中井常蔵によって翻訳されたものが、『稲むらの火』という題名で、国語の教科書に採用されていました。
この小説では、人々や村の様子がさまざまな比喩によって表されています。
そこで今回の記事では、比喩表現の意味や言い換えを、「A Living God」の小説の原文とその日本語訳を用いてご説明いたします。
表現に着目しながら、物語の場面を想像してみましょう。
❶中学受験国語と比喩表現
中学受験の国語の問題では、以下のような形で比喩表現が出題されます。
(例)(ラ・サール中学校 2024年度 文章は稲葉 敏郎氏 『ことばのくすり』より)
そういった時には、あまりキョロキョロしたりせず、さもその町の住人になったような意識で歩き続けることがコツです。
まったく知らない住宅街の中で、あたかも目的地がはっきりしているかのような歩き方をすると、どんな平凡な街並みでも新鮮な感覚を抱くことができます。(中略) B 感覚が近いかもしれません。
問 空欄Bに入れるのに最も適切な表現を次の中から選び、符号を書きなさい。
ア 見知らぬ人ばかりの雑踏の中で知人に会ったような
イ 言葉のわからない海外で、一人旅をしているような
ウ スマホの地図と周辺の様子とを見比べているような
エ 通い慣れた通学路を友人と一緒に歩いているような
オ すべての通行人を観客と見立てて役者になるような 正解 オ
役者が「他者を演じている」職業であることと、「さもその町の住人になったような」という表現から、正解の選択肢を選ぶことができます。
このように、比喩表現の問題を解くためには、たとえに用いられているものの性質を見極めることが必要になります。
性質といっても、たとえば「牛のように」とあったとき、「本当は凶暴」という意味で用いられていることはまずありません。「のんびり、ゆっくり」したイメージ(牛歩戦術)、もしくは「たくさん食べる」様子(牛飲馬食)を表現していると考えて間違いないでしょう。
物や動物の一般的なイメージは、「猿も木から落ちる(猿は木登りが上手)」や「雨垂れ石をうがつ(石は堅い」等のことわざや慣用句に表れていますので、たとえの言い換えが苦手な人は、ことわざや慣用句の本を一通り読んで、イメージを身に付けておきましょう。
それでは実際に、「A Living God」の中で用いられている比喩表現をいくつかご紹介いたします。
❷「アリがはうように」
梧陵(作中では「五兵衛」)が稲むらに火を点けた後、その火を見た村人が梧陵の元へやってくる場面です。村人たちは前の場面で、急に引いていった海が気になって浜辺へ出ていました。
【原文】
Hamaguchi watched them hurrying in from the sands and over the beach and up from the village, like a swarming of ants, and, to his anxious eyes, scarcely faster.
【訳】
濱口は彼ら(村人)が、砂原から浜辺を越えて、村から山へと、アリがはうように急いで登ってくるのを見た。そして、不安にかられる彼(濱口)の目に、それはとても急いでいるようには見えなかった。
「アリがはうように」という表現に注目します。
「山へと」「登ってくるのを見た」とあるので、この時梧陵は山の上にいることが分かります。山から村を見下ろしているので、やってくる村人たちがアリのように小さく見えたことが想像できます。
また、「はうように」とありますから、村人が実際には「急いで」やって来ていたとしても、梧陵には遅く進んでいる印象だったことが分かります。
事実、その後の文章は、「それはとても急いでいるようには見えなかった」と続いています。
村人の様子と、焦る梧陵の気持ちがよく伝わる、臨場感あふれる表現です。
❸「絶壁のように」
稲むらに火を点けた梧陵を、村人は訝しみます。すると梧陵は、海岸の方を指さして「来た!」と叫びました。
【原文】
For that long darkness was the returning sea, towering like a cliff, and coursing more swiftly than the kite flies.
【訳】
というのも、あの長い暗闇は、絶壁のようにそびえ立ち、鳶が飛ぶよりも速い速度で戻ってきた海(海水)だったのだ。
「絶壁のように」という表現から、押し寄せてきた津波の様子が想像できます。
このとき梧陵や村人は高台の上に避難していたので、波を見下ろす格好であり、それでもなお「絶壁のようにそびえ立」っているように見えるということは、高さはもちろんのこと、津波の幅も相当なものであり、海全体が迫ってくるような情景である、ということが想像できます。
直前の「長い暗闇」という表現からも推察できますが、「絶壁のように」というたとえが加わることで、津波の規模がより際立っています。
❹「雷」
津波が村へ到達します。
【原文】
…all shrieks and all sounds and all power to hear sounds were annihilated by a nameless shock heavier than any thunder, as the colossal swell smote the shore with a weight that sent a shudder through all the hills, and a foam-burst like a blaze of sheet-lightning.
【訳】
あらゆる叫び声や音、そして皆の聴力は、どんな雷よりも激しい、名状しがたい衝撃によって消し去られ、巨大な(海水の)うねりが丘を揺らすほどの重みと、幕電のように弾ける泡を伴って襲い掛かったのだった。
この場面では、襲い来る津波の勢いを、雷に関する2つの表現を用いて表しています。
「どんな雷よりも激しい」については、「叫び声」「音」「聴力」とありますから、津波の音を雷鳴にたとえた表現であることが読み取れます。
「幕電(sheet-lightning)」とは、雷によって空や雲が輝いて見えることを表しますが、「弾ける泡」を修飾していることから、語句の定義を知らなくとも、津波が稲光のように「白く光る様子」が想像できます。
加えて、雷は昔から「天の怒り、祟り」の象徴として畏れられていました。
村を呑みこもうとする津波の勢いと恐ろしさが、雷との対比から伝わってきます。
いかがでしたでしょうか。
今回挙げた比喩はいずれも「直喩」と呼ばれる、「まるで」「ようだ」等の比喩だと分かる語句を伴ったものです。
比喩には他にも、「隠喩」(例:「彼女は百合だ」)や「擬人法」(例:空が泣いている)といった技法があります。
これらの比喩表現が出てきたときには、問題として訊かれていない場合でも、たとえに用いられている事物のイメージと、たとえられている物の共通点を考え、情景や様子を想像してみましょう。
そして、筆者や登場人物がどのような印象を受けていたか、ということを意識しながら、文章を読み進めていきましょう。
今回はこの辺りで失礼いたします。