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投稿日:2024年11月11日

テーマ: 国語

中学入試に出る暦(こよみ)の学び【その時、「暦」が動いた!】

「日日是学日!」
受験Dr.の松西です。

 本日、11月11日はさまざまな記念日にあたるそうですが、私としては「あぁ、立冬だな」と
思えてしまいます。例によって入試国語の教養・二十四節気(にじゅうしせっき)の話です。

今年の立冬は11月7日からです。これまでいろいろな食べ物とからめて、暦の話をしました。
立秋なら「土用の丑の日の、ちょっとあとにある」という具合にです。

二十四節気から抜粋した図
ところが、立冬は直近の日付にメジャーな食べ物がないんですね。これは弱った…説明が難しい。

でも11月は「あること」を説明するのに、ちょうどいいタイミングなのです。
「そもそもなぜ新暦と旧暦の季節感は、ずれるの?」というお話をしたことがありました。

コトの始まりは明治初期。「欧米文化に追いつこう」とやっきの政府は 「太陽暦に改暦し、国際標準にあわせよう」と決断して…

11月9日に「あのね、今年は来月の12月2日までにしますね」と政府が宣言したわけです。
いま小学6年生の受験生をささえるお父様・お母様がドキッとする、よろしくない公布ですね。

さぁ、思考実験をしてみましょう。あなたならどうするか。11月のこの日に政府が「来月3日に
改暦をします。令和6年は12月2日までです。翌日を令和7年1月1日とします」と宣言する。

どうです? メチャクチャでしょう。テレビもネットも大騒ぎ、SNSでは「政府は頭がおかし
くなったのか!?」と話題にのぼるでしょうね。

でも、待ってください。「明治5年」はネットやテレビどころかラジオ(大正末期:1925年~)も
ありません。電話(明治2年:1869年開設)は普及しているとは言えず、新聞(明治3年:1870年、
横浜毎日新聞が創刊)も産声を上げて間もない時期。

あれ? 「当時の人々は、どうやってこのニュースを知ったんだろう」という疑問がわきます。

今の「情報インフラがととのった現代人の生活」から「明治初期の人々の暮らし」を知るには
「学んだ知識」とともに「想像力」が必要になるわけです。ここは国語&社会が活躍するところ。
時は明治、開国し欧米列強に肩を並べられるよう急速に近代化を進める日本。
今年、お札の顔になった3人…渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎も明治初期の時代をのりこえ、
経済、教育、医学の各方面で日本の近代化に尽力した偉人です。
そんな三人もこの「明治の改暦」にはほとほと手を焼いたんじゃないか…と思いますね。

反対に、今度は当時の明治政府の立場になって考えてみましょう。
いろいろな分野にお金が必要になった明治政府はつねに資金繰りに頭を悩ませます。

また、江戸の鎖国時代には問題がなかった暦も、欧米と貿易をするにあたり、問題が出ました。
日本の暦は「太陰太陽暦」で、月の運行を軸にしています。現代でも「三日月」「十五夜」など
なじみ深い月の形は、かつては暦と合致していました。

月の形の図

ところがこの暦は精度が悪く、数年で季節感がずれるため「閏月(うるうづき)」をはさむことで
調整をしていました。これは、閏年とは違い「1か月足して年を13か月にする」というものです。
太陰太陽暦を明治になっても使っていたため、諸外国とのやり取りが面倒。
さらに翌・明治6年は閏月の年にあたり、13か月あったので新政府の役人給与の年度予算も大きく
跳ねあがっていたのです。

・開国したのに、いつまでも旧暦では都合が悪い
・富国強兵の出費が多く、予算が常に厳しい
・旧暦の場合、明治6年の閏月が悩みの種

これらを一挙に解決する方策が「欧米のグレゴリオ暦の1月1日(旧暦の12月3日)に合わせる
形で新暦に移行する」というもの。12月1日・2日の役人給与もうやむやにして支払わずじまい。

明治政府にとり「国民にどうやって新暦移行を知らせるか」は、どうやら二の次だったようです。
なんとも、当時の庶民に同情しますね。もっとも明治5年は、まだ江戸時代のムードが残ります。農村部などでは新暦移行など影響がほぼないですし、反対に都会の貿易商などはきっちり情報を仕入れて対処していたでしょう。人それぞれで対処するしかなかったはずです。

さて、ここで「当時の人々の暮らし」を知るうえで役に立つ「図書室」の紹介です。
各私立中学は「図書室の蔵書数」をアピールのひとつにおきます。私も学校見学会では図書室が
気になります(担当教科によって気になる施設は変わるでしょうね)。

図書室で勉強する子供たちのイラスト

学校によっては大量の「新聞の年鑑」または「PCでの新聞社データベース」が使用できます。
新聞は当時の人々の暮らしや考えを映しだします。「今どき新聞なんて」と思う学生も多いかも
しれませんが、ネットの記事は「いつかは消える」し、最悪「こっそり改訂される」こともある。
あるSF小説では「過去の事件を独裁者の命令に従って役人が修正にあたる」というシーンがありました。こういう情報操作に最も強いのが「紙の記事」です。学校ごとに置かれた新聞年鑑の
すべてを改訂することはほぼ不可能ですからね。

では新聞のデータベースを用いて「暦の学び」をしましょう。さすがに中高の図書館には自由に
出入りできないので、今回は近所の大学図書館で調べてきました。
「東京日日新聞(現:毎日新聞)」の1872年12月9日(つまり旧暦の11月9日)付けの記事に
「朕(ちん)惟(おも)うに我邦(わがくに)通行の暦たる太陰の朔望(さくぼう=新月・満月≒
月の満ち欠け)を月を以て(もって)立て…(以下略) 」とあります。これが明治天皇による布告。
「わが国では、今までは月の運行で暦を立てていたのだが…」という内容ですね。
さて、ここで私と皆さんで認識をすりあわせる必要があります。

紙面を簡易再現した図

上の図は紙面を簡易再現したものです(転載禁止とあるため、画像引用できません。あしからず…)
当時の新聞は白黒なのはもちろん「片面一枚」だけ、かつ旧かなづかいです。古文を学ばないと、
明治~戦前の新聞記事を読みこなすのはむずかしいでしょうね。
私はこういう「当時の新聞記事」を見ながら、このブログを書いています。
初めて見たら、現代の新聞との違いにおどろくと思います。

記事A~Cというのは、その日によって区切りが変わります。改暦の記事はA~Bの中ほどまで。
日付は「旧暦と西洋暦(4ケタ)を併記」しています。明治6年からは「太陽暦明治6年」と表記して「新暦に変わった」ことをアピールしています。
記事では「1月は大の月で31日、2月は小の月で28日…」「子(ね)の刻は午前零時とする」などと
細かに改暦の説明をしていますが、当時の国民にはにわかに信じがたい記事だったと思いますよ。
ちなみに明治初期の日本の人口は約3300万人。当時の新聞の発行部数は1万部にも届かない程度。
マスコミ(マス・コミュニケーション)としてはまだまだ力不足ですね。

さて、図書室から得られる情報はまだあります。それは小説です。
中学入試によく出る作家、浅田次郎さんの作品に「五郎治殿御始末」という短編集があります。
名称からもピンときますが時代物で、江戸末期~明治初期を舞台にした時代ものです。
そのなかに「西を向く侍」というタイトルのお話があります。「にしをむく…」これは
2月、4月、6月、9月、そして11月(漢数字の十一が縦書きでは「士≒侍」に見えることから)、
つまりは新暦の「小の月(30日までの月)」を覚える語呂合わせですね。
明治の御一新になって、不満を抱いたのは旧武士階級です。とつぜん一般市民になれといわれても
環境の変化にとまどうばかり。まして12月3日には年が改まり、明治6年になるとお触れが出た。
12月といやぁ、もう後ひと月もないではないか…、とまあこんな流れで、当時の人々の混乱を
実力のある作家が描いているわけです。
他にも、入試で複数採用された朝井まかてさんの「ボタニカ」。植物学者:牧野富太郎(1862~)を描いた作品ですが、当時10代だった富太郎がこうつぶやくシーンがあります。

「節句などは旧暦のままですればよいものを、無理に新暦で行うから
花の季節と合わなくなっている。」  朝井まかて著「ボタニカ」より引用

自然を愛する富太郎らしいセリフですが、教養があれば「そうか、明治の改暦からそれほど
時間が経っていないから、当時の人はまだ違和感になじめていないんだろうな」と推察できます。

これらの小説を読むと教科書で学んだ歴史知識の用語と「実際の人々の暮らし」が結びつきます。教科書で学ぶ歴史は、どうしても「権力の推移」が中心で、庶民の姿はほぼ描かれませんからね。

他にも資料集として明治の改暦を書いた本もあります。大切なことは「受験で身に付けた知識」を「次の学びに繋げること」です。せっかく入学した学校の、図書室がいかに立派でも「調べる」「活用する」、つまり「知にアクセスするスキル」が養われていなければ、まさに猫に小判
学校によってはカリキュラムの中に図書室の活用を組み込んでいるところもありますが、そういう学校は図書室にプラスアルファの仕掛けをしていることが多いですね。見学会で要チェックです。

 

まとめます。「グーグルで調べれば何でもわかる」と言う人。それは『ある意味では』真実です。
しかし、ハードな中学受験を経て手厚い教育を受け、やがては大学で学ぶであろう学生については
「グーグル検索の結果がこの世のすべて」では困ります。たくわえる知識が増えるほどに
「先人の調査・研究にもっとアクセスしたくなる欲」が増大する。その願望にしっかり応えるのが
図書室です。そして「もっと知りたい」という欲求の種は、中学入試を通して身に付けてきた
「知識・教養」です。主要4科目はどの分野に進むにせよ基礎知識として必要になりますからね。
いま皆さんの重ねている努力は「学びの環境」によって、5年後・10年後にどう結実するかが
決まります。そして「環境の素晴らしさ」に気づくためにも、知への好奇心は持ち続けてほしいと思います。教科書には「学ぶべきこと」は載っていますが「自分がほんとうに学びたいこと」は
載っていないかもしれませんよ。

図書室には「基礎だけでは満足できなかった知の先人たちの英知」が眠っていると思って下さい。与えられる学びから探求する学びへと移行する準備は、中学受験の時点で始まっています。

今回は、「暦の学び」ひとつとってもたいへんな奥行き・広がりがあることを紹介しました。
中学合格はゴールではありません。青春の輝かしいスタートラインに向けて…

「日日是学日!」(⇒ 日々、これ学び!)」

国語ドクター