「日日是学日!」(⇒ 日々、これ学び!)」
受験Dr.の松西です。みなさん、新しい学年に少しずつなれてきましたか?
6年生にとっては大切な一年になります。眼に付くものすべてを「学びに変えてほしい」、
そんな思いを込めて冒頭に「日日是学日!」とキャッチコピーを付けました。
もともとあった「日日是好日」という成句からとっています。
心の持ちようで、何気ない日常も学びに変わります。
今回の学びは「中学受験の教養:暦(こよみ)の学び」です。
季節の移り変わりを味わいながら、目と耳と鼻と手と舌で暦を学んでいきましょう。
たとえばもうすぐ「五節句のひとつ:上巳(じょうし)=桃の節句」がありますね。
でも、肝心の桃の花が盛りになるのはもう少しあと、3月下旬なのです。
なんでそんな季節のズレが起きてるの?…という質問にはこちらの記事でお答えします。
『季節のズレ』を守っている日本文化を当記事では『頑固にゴリ押し型』
と名付けています。図で示してみましょう。
「春の七草」は新暦の2月初めまでには咲きそろいますが、現代の1月初週ではまだ早い。
3月の桃の節句も同じで、桃の花が咲くのは3月下旬なのです。
俳句の世界では江戸期の作品世界に季節をあわせ、「歳時記」で季語と季節が
定められていますから、塾で俳句の授業を受けると、この差にとまどいますね。
本記事では「そのズレを匂いと舌で楽しもうよ」というのが狙いです。
七草がゆやちらし寿司を食べながら、お子様と一緒に暦を体感していただきたいですね。
この時期なら豆まき=立春、ぼたもち=春分とからめていくのも大切です。
暦と言えば、2024年の攻玉社中学で面白い問題が出題されていました。
難しい漢字や表現を改めつつ、一部引用します。
読んだ時にはドキッとしました。
「え? おくのほそ道が有名だからって、松尾芭蕉オタクじゃないんだから、
さすがに小学生にそれは無理でしょう!」と。
ところが、さすが中学入試。頭の柔らかさと観察力が大事なんです。
元禄二年三月から九月にかけて
ここがポイントで「俳句の季語を見抜き、季節の順に並べれば難なく解ける」という訳です。
ただ、入試ということで気持ちが舞い上がってる中で、この情報を読みおとしてしまうと
苦戦したことでしょうね。
俳句の季語も学ぶなら今のうち。後回しにするほど「俳句をやる時間」なんてなくなります。
というわけで次は「入試に出た俳句・春編」。過去10年の出題を中心に「設問として出た」ものを選んでいます(文中引用を含むと出題数はもっと増えます)。あくまで私が個人的に記録しておいたリストの一部であり、全ての出題を網羅しているわけではないことをご了承願います。
すべて、春の季語を持つ俳句となります。
たくさんある中から10首にしぼる予定でしたが、しぼり切れずに12首を紹介。
それほど「親しんでほしい」おすすめ俳句です。
まずは季節の植物。現代の小学生は自然にふれる機会がへっていますからね。
2、4、6、10、12の植物は、ネットで調べて目で見ておぼえていただきたい。
「ぜんまい」だけは形が想像できないと、俳句も分からないので絵を見ておきましょう。
いずれも春の山菜ですが、左上のものが「ぜんまい」で、これを見た目から「の」の字と
言い表し、春の野にたくさんのゼンマイがある様子を「『の』の字がいっぱいに広がる
寂光土=仏さまの住む極楽浄土のようだ」とユーモラスにうたっています。
ちなみに、2025年の灘入試で「“の”の字」をぜんまいにたとえた俳句が出題されました。
12番の句は2015年出題ですから「過去問をきちんとこなした生徒」への実に10年越しの
プレゼント問題ということですね。過去問演習は、解くだけではなく取り組む姿勢が大事です!
さて、私がこの十二首でダントツに好きなのが4です。たったの十七音中に「一輪」という
フレーズを二回も使うぜいたくさ。ただしその恩恵で「少しずつ暖かくなっていく情景」が
心の中に広がっていきます。春を待ち望む気持ちにぴったりの句ですね。
元の句では「冬の終わりに梅の花が一輪咲くのを見て思わずうれしくなり、あくる日に
通りがかると、また一輪増えていた」というような説明があり、つまりは「冬に書かれた句」
となります。その場合、季節は冬で季語は「(寒)梅」ということになるでしょう。
しかし、入試で出た場合はそのような背景はまず描かれませんので、歳時記通りに春の季語と
答えましょう。なんにせよ「新しい季節を待ち望む感性」が心地よいですね。
同様に季節の移り変わりをするどく読んだ句が9、11です。
「雪が溶けて」とあるので、これは春でも初春のころでしょう。11は「山の頂上には、
まだ雪が残っているよ」という着眼ですから、春の半ば~晩春でしょうね。
「雪」の一字を見てそそっかしく「冬だ!」とならないように気を付けましょう。
1の句や8~10の一茶の句はどれもユーモラスですね。1は蛙のちょこんと座る様子を
「礼儀正しく手をついて」と、表現しています。「申し上ぐる」とあるので、人間である
自分に向かい、カエルがつつしんで歌を献上しているのだ、と擬人化していますね。
「自然や動物に対して親しみや愛情を示すやさしい感性」が表れています。
10の句。一茶の生活は貧しいのですが、そんな家庭にも平等に「梅の香り」は届きます。
友でも呼んで一緒に梅を楽しみたいが、もてなすにも割れた茶碗しかない…
でも一茶の他の句を見て下さい。子供への愛情、動物への親しみ…そこには愚痴や不満はゼロ。
こんな楽天的な人だから、この句の意味は「どんなえらいお方がいらっしゃっても、我が家には
割れた茶碗しかありませんが、それが我が家流のもてなし。いっさいわけへだてなし!」という
心意気の表明にも見えますね。
残る句の内3、6,7は重要句。慣れ親しんでほしいので取り上げましたが、
いずれ塾で学ぶ機会があるでしょうから説明は省きます。
さて、5ですが…この句は面白いな、と私は思いました。
まず、教養として「日本人は鳥の初音(はつね)を聞くのが好き」ということをふまえましょう。
春のうぐいす、夏のほととぎすはとくに好まれます。
俳人たちは、初春の寒さに耐えながら「うぐいすはいないかな?」と探し回るわけです。
さて、俳句は十七字をフルに活用して表現しがたいものを言葉に乗せていることがあります。「身をさかさまに」と表現されていますが、これを「説明しなさい」といわれたら、
どう説明しますか? すこし問題風にしてみましょう。
問い 「うぐいすの 身をさかさまに 初音かな」とありますが、これはどういう様子を
詠んだものですか。作者の初音への思いをふまえて説明しなさい。
どうでしょう。イメージが湧きますか? まずうぐいすのポーズですが「さかさま」といっても
鳥ですから、鉄棒にぶら下がるみたいな形にはならないでしょうね。この辺りは想像力が必要。
「身をさかさまに」といっても、せいぜいこれくらいのポーズではないかと思うんですよね。
「枝にまっさかさまにつかまってる鳥を見たことがあるよ」という人もいるかもしれませんが…これでも十分さかさまと言えます。ちなみに「うぐいすはもっときれいな緑色じゃないの?」と
思った小学生へ。それは十中八九「メジロ」と勘違いしています。
鳴き声はほととぎす、見た目はメジロとごちゃまぜにされる気の毒な鳥、それがうぐいすです。
さて、先ほどの問いの答えですが
A. うぐいすが枝に上下さかさまにつかまっている様子を見て、待ち望んだ初音を聞けた
だけではなく、うぐいすのめずらしい姿勢で鳴く様子を見たことをよろこんでいる。
A. 聴覚でうぐいすの鳴き声を、視覚でうぐいすがさかさまに枝にとまる様子をとらえ、
ふだんより変わった初音を味わえたことにうれしさを感じる気持ち。
といったところでしょうか。ポイントは「イメージは湧くけれども表現しにくい」点です。
似たものに、最近の入試でいえば「2024年:女子学院」のこんな問題が思いあたります。
問い「手作りのステンドグラス」とは、何のどのような様子を表現しているか、説明しなさい。
文章は、青森県の上空を飛ぶ飛行機から、眼下の水田を写した写真についてのもので、それを
「手作りのステンドグラス」と比喩で表した部分に線が引かれているわけです。
頭で光景が思い浮かぶとは思いますが、それを「ステンドグラス」と表現した理由、「手作り」という語がついている理由をしっかりと表現する必要がある。
「イメージは湧く」けれど「表現しにくい」という感覚が、お伝えできたでしょうか?
この年の女子学院はこの問いを含めた大問1が1,000字程度、大問2が2,500字程度と
あわせても3,500字と、平年より少ない文量でした。「中学入試の国語が長文化している」と
騒がれ、合計8,000字以上の文章を読ませる学校も珍しくない中で、非常にコンパクトな文量にして受験生の頭脳にしっかりと汗をかかせるこの問題、お見事だな、と驚嘆しました。
そろそろまとめます。
俳句というのは入試国語でけっして頻出というわけではありません。ですが、いずれ塾で必ず
問われる単元ですし、少なくとも先述の春の俳句一覧に名前のある学校では過去に出題されています。文字を追いかけて一気に覚えるより、その季節の風物詩、とくに食べ物の味と匂いのイメージを借りつつ、暦の移り変わりと俳句の世界の広がりを楽しんでみてください。
探求心のある生徒は、どの中学に行っても活躍できますよ。
すぐ目の前にある「学び」を見逃さないように…
「日日是学日!」(⇒ 日々、これ学び!)」