今回は、生真面目さでは右に出る者はいない、というくらい真っ直ぐな生徒のお話。
そんなタイプの生徒が毎年必ず一人二人存在しますが、きまって授業中に「・・・こんな解き方でも許されるの?」という疑問を投げかけてきます。
つまり、生徒の感覚からすると、算数っぽい解き方ではないということ。
では生徒の意味する「算数っぽい解き方」とはどんなものなのか?
それは
問題文の内容を(線分図、面積図、表などを使って)整理する
↓
式を立てる
↓
計算する
↓
答えに至る
というもの。
ただ、算数にはそれが通用しない問題も数多くあります。
「算数っぽい解き方」が通用しない問題に出会ったとき、生徒には何とも形容しがたい気持ち悪さが伴うようで、釈然としない表情で上記のような疑問を投げかけてくるわけです。
そんな生徒が最も気持ち悪く感じる問題。
それは、規則性。
入試で規則性が出題された年度は番狂わせが起きやすいと言われます。
理由は、算数が苦手な生徒ほど、慎重にすべて書き出すという力技で正答にたどりつくから。
一方、生真面目な生徒は、この“書き出し”という作業を「算数っぽくない」ととらえます。
きちんと式を立てて、計算で求めるのが算数。
そこから外れた作業は算数的ではなく、たまたま答えが出たに過ぎない。
そうとらえるのです。
さらに、規則性では常套手段の“見当をつける”という作業も、生徒にしてみれば「算数っぽくない」。
中には、見当をつけて答えが出てきたことに対して、罪悪感に近いものすら感じる生徒もいます。
こうなると、生真面目さも考えもの。
意識改革をしてもらう必要があります。
常日頃言い聞かせていることは
規則性の問題では、式と計算だけで解こうとした瞬間に負けが決まる
見当をつける
↓
付近を書き出す
↓
全体像を把握したうえで答えに至る
この一連の流れの過程において計算が登場するだけです。
今日もまた計算だけで規則性の問題と格闘する生徒。
「お前は既に負けている」と北斗の拳もどきのセリフを耳のそばで囁くと
「え・・・あ~、そうか」とやっと思い出し、見当をつける作業に移行。
意識改革にはまだまだ時間がかかりそうですね。