こんにちは、社会科担当の長門 明です。
いよいよ4月、春本番です。
「春眠、暁を覚えず」となりがちな季節ではありますが、
春のスタートダッシュを目指して、頑張っていきましょう。
さて、今回は中学入試でお馴染みの「鉱山」がテーマです。
「鉱山」に関する出題は、以前から「定番」ではありましたが
各鉱山が、地理・歴史それぞれ別々の単元で登場するため、
なかなか「まとめて」覚える機会が少ない分野とも言えます。
そこで、今回のブログでは、入試頻出の「5つの重要鉱山」について、
開山が古い順に「銀銀金銅銅」の順でまとめて紹介してみます!
「前編」の今回は、「銀銀」の部分にあたる「2つの銀山」について、
入試頻出事項とも関連させながら紹介してみたいと思います。
では、よろしくお願いします!!
鉱山「金・銀・銅物語」(前編)
◆信長・秀吉・家康、3人が直接支配した「生野銀山」
① 生野銀山(兵庫県 807年〜1973年)
5つの重要鉱山の中で、最も古い時代に開山したと言われるのが、
兵庫県にある「生野銀山」です。鉱山は、必ず場所を正確に覚えて下さい。
諸説はありますが、開山はなんと平安時代初期と言われています。
実は、この歴史のある「生野銀山」は、
あの信長・秀吉・家康の3名全員が直接支配するほど、
当時の政治や文化に大きく影響を与えた鉱山と言えます。
皆さんは、その理由を説明できますか?
鉱山には、必ず産出の「最盛期」と呼ばれる期間が存在しますが
今回紹介する「2つの銀山」の最盛期は、戦国時代から江戸前期頃でした。
これ、よく見ると、ちょうど「信長・秀吉・家康」が活躍した時代と重なりますね!
信長や秀吉が強大な力を持った要因は、
政治力や運だけでなく、その「財力」にもありました。
そして、その「財力」の源が、この「生野銀山」で採れる「銀」だったのです。
つまり、信長や秀吉は「生野銀山」を支配することで、大量の「銀」を手に入れ、
その莫大な財力を背景に、圧倒的な力で天下を治めたのです。
これは、安土桃山文化が「豪華」であった理由とも深く関係しています。
「鉱山」の支配により、豊富な「財力」を得て支配力を安定させる戦略は、
のちに「家康」が開く「江戸幕府」と「佐渡金山」の関係にも見られます。
信長、秀吉、そして家康の政治と「鉱山」は、切っても切れない関係だったのです。
◆「石見の銀」から、「世界の銀」へ!
② 石見銀山(島根県 1309年〜1943年)
2007年に世界文化遺産に登録されたことで、大きな注目を集めたのが、
皆さんご存知の「石見銀山」です。最近の入試で最もよく出題される鉱山と言えます。
まずは、その所在地!「石見銀山」があるのは、現在の島根県となります。
「生野銀山」としっかり区物できるようにしましょう。
そして、大切な点をもうひとつ!
この「石見銀山」は、ある「貿易」と大変強い結び付きがあります。
皆さんはこの「貿易」が何貿易を指すか分かりますか?
先述の通り、「石見銀山」も戦国時代から安土桃山時代に「最盛期」を迎えます。
当時の日本の銀は、なんと世界の銀の産出量の3分の1を占めていました。
かつて、マルコ・ポーロは「東方見聞録」の中で日本を「黄金の国」と紹介しましたが、
1549年、鹿児島を訪れ、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、
知人への手紙の中で、当時の日本を「銀の島」と紹介した、という記録が残っています。
まさに、ジパングは「銀の国」だったのです!
このような豊富な日本の「銀」を求めて、遠い国からやってきたのが
ポルトガルやスペインの商人たちです。つまり、「南蛮貿易」です!
彼らは、日本で火薬や鉄砲を売り、それと引き換えに、多くの「銀」を手に入れました。
そして、このときの銀の多くが、あの「石見銀山」の銀と言われています。
こうして、「石見の銀」が世界中で取引され、「世界の銀」となったのです。
ということで、南蛮貿易の輸出品に「銀」が入ることがお分かり頂けたと思います。
単なる「暗記」だけでは気づかない「南蛮貿易」と「石見銀山」の関係を知ると
なんか「歴史のロマン」を感じます!
<まとめ>
いかがでしたでしょうか。
一見関係なさそうな「人物」や「項目」との「結びつき」を知ることで
社会の学習は、一気に忘れにくく、定着しやすく、そして活用しやすくなります。
次回は「後編」です!どうぞお楽しみに!
以上!長門でした!