みなさん、こんにちは。受験ドクターのNです。
今回も「国語の家庭学習」について。
「辞書に頼らせない」
文章読解中に知らない言葉をひとつふたつ発見すると、
それだけで読みが鈍ってしまうというお子さんがいます。
どういう意味なのかが気になるというのは大変結構なことなのですが、
「言葉の意味が分からないと読み進められない」ということになってしまうと、
それはそれで困りものです。
これは個人差があることでしょうし、決して自慢できることではないのですが、
私は、子どもの頃に辞書をひいたという記憶があまりありません。
もちろん、きちんとしたお勉強を通じて調べた意味をノートに書くことで
頭に入れた言葉もあることはありますが、
いま自分のもっている語彙のなかのごく一部だと思います。
みなさんはどうでしょうか?
では、私の少年時代は恵まれた言語環境にあったのか、というと、
決してそういうわけでもなかったと思っています。
日常会話はごくごくありふれた他愛もないレベル。
難しい本を読みふけった記憶はなし。
教養レベルの高い書物がかたわらにあったわけでもなし。
となると、すくなくとも人並あるいは多少それよりは上のレベルの語彙が
蓄積できたのは、次のようなことによるのだろうと考えるしかないのです。
日常生活で見聞きしたり文章のなかで目にしたりする様々な言葉を、
その状況(文脈)のなかで、「だいたいこういう意味なんだろうな」と
推測しながら覚えていった。
ただし、ここまではあくまでも私自身の経験談です。それをもって
「だから、これが正しい学習法なのだ」と主張するつもりもありません。
話を戻しましょう。
「言葉の意味が分からないと読み進められない」というのは困りもの、
と言いました。
なぜなら、
テストでは辞書をひけないからです。
先生に語意をたずねることができないからです。そして、
制限時間内に問題を解かなくてはならないからです。
さらに、設問のなかには「語句の意味が分からなくても解ける」ことを
前提としたものがたくさんあります。ほとんどのテストは
「語意が分からなければ解けない設問を落としても不合格にはならない」
ように作られているのです。
入試で勝つ「読解力のすぐれた」子は、
決してボキャブラリー自慢の子ではありません。
たとえ、意味の分からない言葉がちりばめられた難解な文章であっても
重要な部分に着目(チェック)し、それを設問にリンクさせることのできる子なのです。
意味調べをするなと言っているわけではありません。
辞書を活用することによって言葉の知識を充実させることは
とてもとても大切なことです。ただ、
「読んでいる途中に意味調べをする」習慣ができてしまうと、冒頭に述べたように
「意味の分からない言葉が出てきたら先を読み進めることができない」
ようになってしまいかねないのです。
「きょうのテストは『知らない言葉がいっぱいあって』、できなかった…」
「きょうのテストは『内容が難しくて』、できなかった…」
お子さんにそんなことをつぶやかれたことはありませんか?
これをそのままにしてしまうと、「入試本番で難しい文章が出たらお手上げ」という
ことになってしまいますよね…。
そうではなくて、
「知らない言葉がいっぱい出て、内容も難しかったけど、できたよ!」
と言えるお子さんにしたいですよね。
そのためには、
「ねえお母さん、この○○って、どういう意味?」ときかれても
答えてあげないほうがいい、私はそう思います。
そして、
「辞書をひくのは読解演習が終わってから」と助言してあげてください。