みなさん、こんにちは。受験ドクターのNです。
今回も「国語の家庭学習」について。
「説明レベル(精神年齢)を高めよう」
「ねえ、それ取って」
「それって何?」
「それ、テーブルの上にあるペンだよ!」
「だったらはじめからそう言いなさい!」
ありふれた親子の会話です。他愛もないやり取りですけれど、いいですね。
何がいいかって、「内容が相手にはっきり伝わるよう訴えているから」です。
「言葉足らずの甘えた言い方」は、家族や友人どうしのような
気心の知れた間柄であれば、別に目くじらをたてるようなことではないのかもしれません。
でも、一歩距離を置かなくてはならない相手の場合、こんな話し方は許されません。
記述の答え方も、これと同じです。
「え、まさか、そんな答え方はしないでしょ?」と思いますか? とんでもない!
ひとつ例を挙げましょう。
〔設問〕「傍線部②で『太郎は父をにらんだ』とありますが、なぜでしょうか。」
〔答え〕「父親がしかったが、悪いことをしていないと思ったから。」
まあまあよさそうな答えにみえますか? 実はダメな点が二つあります。
ひとつは「なぜ父親がしかったのか」が説明されていない、ということ。
設問では直接は要求されていませんが、この答えをみた第三者は当然のごとく説明を求めます。
もうひとつあります。お気づきですか?
それは「主語の変化が明記されていない」ことです。
「父親がしかった」 → 主語は「父親」ですね。
↓ ↓
「悪いことをしていないと思った」 → 主語は「自分」。父親ではありません。
ここでひとまず、大原則を強調しておきます。
「第三者(何も知らない相手)に正確に伝わる説明をするべし!」
記述問題の評価が△になる場合、部分的であれ
「正しい理解ができている」ということを意味します。
では、いったいなぜ○にならないのか?
ひとつは、「説明要素が足りない」
次に、「余計な説明が入っている」
では、この二つが指摘されなければ、つまり「過不足なく」書けていれば、
文句なしに○になるのか? 違うんですね。もうひとつ大きな減点の理由があります。
それは「第三者に伝わりにくい」ということ。
先ほどから述べていることです。
そもそも「説明」とは何のためにするのかといえば、
「分からない人に分かってもらう」ためにするのです。
分かっている人に説明は要りません。
記述問題の答えだって「説明」です。
たしかに、その説明を読む相手は実際にはテストの採点者であり、
普通であれば文章内容を「分かっている」人です。
でも、それを前提にしてはならないのです。
授業でよく使う例をご紹介しましょう。
「四谷の
合判で
開成が
80%とでたよ。」
ある小6の男の子が、この結果に大喜びだとします。そして、
その喜びのあまり、遠方に住む祖母に電話をかけた、とします。
祖母とはもう5~6年会っておらず、祖母は孫が塾通いしていることすら知りません。
中学入試についても何ら知識がないものとします。
さて、そんな祖母に男の子が先ほどのような話し方をしたとしましょう。
もちろん、残念ながら、これではまったく通じませんよね。
記述の答えだとしたら最悪です。
この男の子は「おばあちゃんは今の自分のことを何も知らない」ということを
強く意識すべきでした。そうすれば、まず「自分は中学受験をする」という
前提から説明しなくてはならないことに気付くはずです。そして、
「状況を知らない相手」にとっては「具体的な言葉や数字はかえって意味が通じにくい」
ということまで気付ければ、次のような説明ができるようになるのです。
ぼくは中学を受験するのだけれど、
大きな模擬試験を受けたら、
ぼくが行きたい学校の
合格の可能性がとても高くでたよ。
これなら「何も知らない」祖母にも伝わります。
ちなみに、このような説明をするうえで「難しい言葉」は必要ありません。
手持ちの言葉で無理なく説明できます。となると、大切なのはテクニックうんぬんよりも
「どうすれば相手にきちんと伝わる説明ができるか」ということをじっくり考え、
慎重に言葉を選択する姿勢。
これなのです。
独りよがりな言葉づかいをしているお子さんではいけないということです。
冒頭にかかげた「精神年齢」というのは、何も特別なことではなく、
自分自身の言葉のつかい方を冷静に確認する「客観性」と言ってよいでしょう。
このブログの第一回で「記述問題の模範解答を音読しよう」と述べました。
その延長で、お子さんの書いた答えも合わせて読み比べをしてみてはいかがでしょう。
「文章を読んでいない人(第三者)にどう伝わるだろうか?」という問いかけで。
そんなことが親子で自然にできたら、
お子さんの説明能力は格段に進歩するはずですよ。