みなさん、こんにちは。受験ドクターのNです。
さて、前回のブログをお読みになったうえで
「そうか、読書と読解力は関係ないんだね! じゃあウチの子も本を読まなくていいんだね!」と
笑顔で納得なさる方はほとんどいらっしゃらないだろうと想像します。
そもそも私は「本を読むな」とは一言も言っていません。読書で読解力を高めている子(先にあげた分類でいえばAタイプ)の存在を否定しているわけでもありません。
読書の効用について考えてみましょう。
べつに学問的に検証したわけではありませんし、本好きな子の脳を科学的に研究したわけでもありませんが、経験上、次のようなことは指摘できるでしょう。
A 活字量への耐性がある
B 読みのスピードも上がりやすい
C 自ずと、言葉の知識が増える
D 擬似体験を重ねることによって、精神年齢が高まりやすい
むろん「どんな本を読んだか」によって個人差はあるでしょうが、本をあまり(ほとんど)読まない子と比べれば一般的に上記のようなアドバンテージはあると言ってよいと思います。
制限時間内に首尾よく答案を仕上げることが要求される入試において、集中し、かつ正確に読み解く余裕がもてるということはとても大切です。また、理解のレベルを試される側面をかんがえると、「精神年齢」という要素も軽視できません。
つまり、読書の意義はすこしも否定されないということなのです。
ただ、「本を読んでりゃだいじょうぶ」という話になってくると、「それはまったくの誤解というものですよ。だって、求められることが違うんだから。」と言わざるをえないのです。
では、「読書好きで国語ができる子」については、どう考えたらよいのか。
かつて、国語がたいへんおできになる女の子の親御さんから相談を受けたことがあります。その子は本が大好きで、塾での国語の成績も常に優秀。桜蔭志望。通っている塾は、御三家中の合格実績で圧倒的なシェアを占めており、その中でも抜群の成果を上げている校舎のトップクラスにいる子でした。
暗雲がたちこめたのは小6の夏。それまで、たいした勉強をしなくとも良好な成績をとり続けていられたのが、突如として、まったくふるわなくなってしまいました。
夏期中に課せられた過去問にまったく歯が立たなかったのです。
それまで、感覚的な読み方や解き方で対応できていたのに、それがまったく通用しない。
ご相談をいただいたのは10月中旬。具体的な経緯や現状をつぶさに確認した後に、指導をスタートさせたのは、11月になってからでした。
親御さんから聴いていたとおり、そのお子さんはながらく「できてしまっていた」のでした。文章の要点チェックもしていなければ、設問に対する解答の理由づけも特に意識していない。
選択肢の吟味も、書き抜きの答えの検索も、記述の答えも、すべて「感覚で処理」できてしまっていたのです。
しかし、桜蔭の入試問題にはそれが通用しない。実際は、桜蔭だけに限ったことではないのですが、第一志望校だけに、ショックが大きかったのでしょう。
私は慎重に「リハビリ」を始めました。
「いまから教えることは、ここまで取り組んできた君にとって、とても不自然で違和感をおぼえるだろう。でも、どんなに文章や問題が難しくても、確実に得点できる答案を作るための方法だ。読み解く作業のスピードはいったん遅くなるが、やってみるかい?」
はたしてそのお子さんは、限られた指導回数のなかで、私が教えたことの全てを完璧に実践してくれました。
そして、晴れて桜蔭中に合格。
むろん、国語で受かったのかどうかは分かりません。
しかしながら、「読書量に依拠してしまう危うさ」と、「感覚ではなく論理的な方法で取り組むことの大切さ」を実感してくれたことはたしかなようです。
読書の価値は大きい。でも、それだけで「戦える」ほど、入試は甘くないのですね。