最近、6年生を指導していると気づくことがあります。
それは、設問を読まないことです。少なくとも、設問からわかる情報を読み取って考えていくという視点はありません。設問文に「線を引く」という行為も、これでは無駄になります。
「設問文を読む」とは、
傍線部も含め、聞かれていることを理解する。
設問文の条件=設問で誘導している解答の方向性をつかむ。
設問文にある解答のヒントを探し、読み取る。(キーワードを探しておく。)
必ず、傍線部を含めた文脈を確認する。
ということです。
以上のことをしっかり意識したうえで、問題に取り組むことが大切なんですが、大概はさらっと読んで答えを考える。そして、読み取りミスをして間違う。
解説を聞いて、設問の意味を一応理解するが、たんなる読み取りミスとして軽く流す。
→結果として、同じミスを繰り返す。
という悪循環にはまっている生徒は本当に多いです。
これを修正するためには、考え方のプロセスを書かせて自覚させることが重要ですが、
最近では、それでも修正できない強敵(生徒)がいるので、授業の解説時にしつこく、「なぜそいう解答になったのか」を聞き出します。そして、その場で考え方を書かせ修正させます。
このようなことをしても修正できない(泣)生徒は・・・・・問題を解くときに徹底的に意識させています。
そして、読み取りミスをしたら厳しいご指摘(笑)が待っています。ふーう。
そもそも、なぜここまでいい加減に読むのか。
それは、「受け身」だからです。ただ問題を「解いている」。
問題に「取り組んで」いないのですね。これは、ひたすら「演習」ばかりさせられてきた生徒に多い傾向です。
一つ一つの問題を考えて解くという習慣がつく前に、ただ演習量だけこなしている。そして解説を聞いて、わかったつもりなり、あとは授業の記憶で間違い直しをして終了。
「なぜそうなったのか」という視点で復習していないので、一つ一つの設問の意味をしっかり考えるなんていう発想はない。だから、設問もいい加減に読んで、答えをすぐ出そうとする。
この期間が長ければ長いほど、「考えないで解く」くせから脱却するには時間がかかります。
まさに、コンクラーベ(笑)
当たり前のことを当たり前のこととしてできるようにする。
じつは、これが一番難しいのではないかと思うこのごろです。
このような事情により、最近は解説時間をかなりとって、つっこみを激しくしています。(笑)
まさに、マンツーマンで思考トレーニングをしています。
生徒の皆様、しっかりついてきてくださいね。厳しいですけど(笑)