私にとって、詩との出会いは、偶然が多い。
詩を特に好んで読むわけではないので、たまたま、見かけて、思わず引き込まれる、ということが多いのである。
その中でも、強く印象に残っている詩がある。
高階杞一 という詩人の 「早く家へ帰りたい」という詩である。
4部から成るこの詩のはじめの2行は、衝撃的だ。
「旅から帰ってきたら
こどもが死んでいた」
あまりに非現実的な出だし、旅からこどもの死に、つながらない。
こどもの死を伝えられても、「悪い夢」と思おうとする作者は、
止まらない汗をぬぐい、シャワーを浴びて、
こどもの枕元に旅のおみやげである小さなプラスチック製のヘリコプターを置く。
おもちゃのヘリコプターの滑稽な動きを見て、作者は、涙がこみあげる。
そして、氷で冷やされたこどもの手、足、胸、おなかをこっそりフトンの中でさする。
息を吹き返すかもしれないと
みなが帰った後、自分の部屋で、作者は、デッキのCDが入れ替えられているのを見つける。
こどもがしたことと直感した作者は、最後のメッセージを読み取ろうとする。
CDの一曲目は、サイモン&ガーファンクルの「早く家へ帰りたい」。
曲を聴きながら、作者は、その意味を考える。
最後の7行は、そのまま引用する。
「ぼくは
早く家へ帰りたい
時間の川をさかのぼって
あの日よりもっと前までさかのぼって
もう一度
扉をあけるところから
やりなおしたい」
この詩は、作者の実体験から作られた。
3歳の子をなくした作者は、その2か月後に、この詩を発表した。
あまりにも悲痛な体験が凝縮された詩である。
淡々と言語化されているが、作者の体験が、直接突き刺さる。
この詩を作ることにより、作者の悲しみは、生々しい形で形象化され、
読み手の心に問いかけてくる。
「もう一度
扉をあけるところから
やりなおしたい」
かなわない思いであっても、抱くことは許されている。
私も、どうしようもない悲しみを、この詩とともに生きてきた。
この詩に出会ったことで、悲しみとともに人生を生きることができるようになった。
どの詩が、誰に、何を与えてくれるのか(また、奪うのか)は、わからない。
ただ、ことばには、力がある、ということを、私は、詩を通じて学んできた。
皆さんも、人生を通じて味わえる詩に出会うことがあるかもしれない。
探して出会えるわけではないが、詩に限らず、ことばによる芸術との出会いが、人生を支えてくれることもある。
作品との出会いを、長く大切にしていただきたい。