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投稿日:2024年06月17日

テーマ: 国語

中学入試によく出た「名著の名所ツアー➁」

「日日是学日!」(⇒ 日々、これ学び!)」

受験Dr.の松西です。梅雨の真っただ中ですね。こんな季節だというのに、あと数週間後には
七夕という「お空を眺めるイベント」をするのだから、不思議な国です。
またいつか「暦の学び」で扱うので、今年の7月7日が晴れだったか雨だったか曇りだったか、よく観察しておいてくださいね。

さて、今回は「中学受験をするなら読んでほしい、おすすめ作品」をご紹介します。
以前、入試によく出る「稲垣栄洋(いながきひでひろ)」さんの「はずれ者が進化をつくる」
ご紹介しました。今度の本は内容がちょっと難しくなります。対象が小6に限られるかなぁ、
でも上位校を受けるなら読んでほしいなぁ、という一冊。
では始めましょう、「名著の名所」ツアー!

 

目の見えない人は世界をどう見ているのか

 

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」は、伊藤亜紗さんの著作群中でも最初期に
あたる著書で、今から10年近く前の作品ですが、2023年に関西の高槻中学などで出題。
この息の長さに「中学入試の古典的作品になったな」と考え、ご紹介することにしました。
単に「これが今後も出るから読んでほしい」という考えだけではお勧めしていません。
「中学入試でなぜこの作品が選ばれるのか」という観点からツアーに参加いただければ幸いです。

ではツアーの「名所その①」にご案内いたします。

 

~ 名所その① 第一章「空間」 ~

※ページ数は先ほどの出版社からのものを参照しています。

 

第一章「空間

 

この本は、目の見えない6名の方と筆者の交流から「筆者の気づき」を論じたものです。
後ほどまとめに書きますが、文体自体は柔らかく、身近なことがらから本論に展開するため、
とても読みやすいです。
第一章は、「木下さん」という全盲の方と筆者がインタビューのため待ち合わせている
場面からはじまります。

※本書では目の見えない方を、それぞれの方の状態に合わせた表現を取っています。
「全く見えない状態」を全盲と表現しているので、ここでもその表現にならいます。

中学受験的観点からの情報を先に述べますが、「大半の中学がこの章から出題」しています。
ラ・サール(2016)がもっとも早く、金蘭千里(2017)と甲陽(2017)が続きます。
とくに甲陽の扱ったP47~55は、その後もいろいろな中学が出題に使っています。
例えるなら『東京スカイツリー、京都の清水寺級の観光名所』と言ってよいでしょう。
つまりは「出題者の意図にかなう、中学入試の名所」だということです。
また、中学によって問題の作りに特色が出るのが興味深い。「ほぼ記述のみ」の栄光、
「記述>選択肢」の甲陽、「記述<選択肢」の高槻、バランスが取れているうえに表や図などの特色ある出題をする香蘭など十人十色。とはいえ出題形式は様々でも筆者が述べている内容は一つです。

では各学校の先生が「この場面で生徒に問いたくなる内容=ポイントは何なのか」。
続きを見てみましょう。

 

木下さんが何気なく放ったひと言、これが筆者に驚きをあたえます。

「大岡山はやっぱり山で、いまその斜面をおりているんですね」

(伊藤亜紗 著「目の見えない人は世界をどう見ているのか」より)

筆者はこの後に心境を述べています。「私には標識や坂道や道の一部しか見えていなかった」
すなわち『部分』で空間をとらえていたのに対し、木下さんは盲目であるがゆえに、地名と
身体的情報から推測して、脳内に『全体』像を描き、自分のいる位置を俯瞰的(ふかんてき)に
とらえているのだ、と大きな気づきにいたったのでした。先ほどの図の矢印をご確認ください。
この「大局を観る視野」を「俯瞰でものをとらえる」といい、さらに「メタ認知的に見る」とも表現します(は辞書で必ず調べていただきたい入試用語。以下同)。

この気づきにより、筆者は「自分がいかに目の前の視覚的情報(…)に囚われていたか」に
思いいたります。そこから論が展開し、「情報の洪水で脳のスペースが余っていない現代人」の
ありように触れます。つまり「見えるはずの健常者が視覚情報に縛られて、ものの見え方が偏り、
見えないはずの全盲者が先入観なしに想像力を働かせ、かえって全体像を見渡す」という
逆説的な構図が成り立つ経験をした、というわけですね。

「目が見えないはずの全盲者が、目が見えるはずの健常者よりも本質をとらえている」
こういう論、中学校の先生は好きそうだと思いませんか?実に逆説的(=パラドキシカル)です。
各中学は、この「常識とは異なる論展開に受験生がついて来られるか」を確かめるように
傍線を引いて問いを作っているのです。ここがポイントです。

 

~ 名所その➁ 第五章「ユーモア」 ~

ツアー2ヵ所目は巣鴨中学の出題箇所です。伊藤亜紗さんの著書は、いまや中学入試界では
欠かせない存在。主なものでは「記憶する体」「手の倫理」「『利他』とは何か」など、
多くの中学で出題された著書が並びます。そうなると「最初に伊藤亜紗さんを見出した学校は
カッコいいなぁ」と私は思ってしまいます。それがラ・サール中学であり、この巣鴨中学です。
(もちろん、すべての入試問題を網羅している訳ではなく、私個人の知る範囲ですが…)

続いてツアー「名所その➁」、見てまいりましょう。

 

第五章「ユーモア」

 

健常者には気づきにくいことですが、目が見えないと回転寿司では「なにが流れてくるのか」も分かりません。ですが、ある全盲の方は「あえてその状況を楽しんでいる」と話します。
何を取ったのか、取ってみて口に入れてみるまで分からない。それをあえて楽しむ、という話に
筆者は気付きを得ます。そこには「ユーモア」を取り入れ、状況を楽しむしなやかな強さがある。
その姿勢には、筆者が本書のテーマとして掲げる『情報と意味』が色濃く表れています。
「視覚という人間が最も依存している情報」を欠いた人たちが、自分たちの得られる情報を元に
新たな意味を創り出していく。その手段が本章では「ユーモア」、第一章では「空間感覚」で
あるということです。

 

余談ですが、私からもこの文章を読んで、お話したくなったことをひとつ。
私たちはつい自分の持つ常識を「絶対的」なものとしてとらえがちです。この文章の場合、
全盲の方は「絶対的なものの枠組みから外れてしまった」ということになり、そこから導かれる
感想は「かわいそう」「気の毒だ」ということになります。

 

常識を「絶対的」なものとしてとらえがち

 

ですが筆者は実際に目の見えない6名の方へのインタビューを通して『主体的&肯定的に
目を使えない生活からでも視覚以外の情報を得て意味を創り出すその手法』に感嘆しています。
もちろん、全盲者の中にもネガティブな方はいるでしょう。でもそれは健常者であっても同じ。
置かれた環境で「無いものを、つい指折り数えて」しまう習慣の人だっていることでしょう。

筆者に感動を与えたのは、あくまで「ポジティブかつ主体的に状況を楽しむ生き方」をした
人たちであり、全盲であるからこそ私たちの常識の枠を軽々と乗り越え『意味』を見つけ出した
方々です。

社会は『多様性』が大事で『相対的な見方』を身に付けるべきだ、とは言いますが、なかなか
『絶対的な常識の枠組み』が強固で外しがたい。だからこそ、色々な人の意見を聞くことが
大切なのかもしれません。読書もその手段のひとつですよ。常識の枠組みは、人が成長するには
必要ですが「人が一定以上成長すると、かえって成長を阻む枷(かせ)」になりかねません。

枷…足かせ、手かせのように奴隷の動きを制限したりする拘束用の道具。

以上、余談でした。お目汚し失礼しました。

 

 

そろそろ、まとめます。

 

旅のしおり

 

出題のあった学校名を見る限り、中~上位校向けの内容です。私が生徒に論説文を勧める時は
「一人で読み切れるのか」を判断材料に含めます。その意味では、「序章」は難しいですね。
内容が全体の概要になり、筆者の提唱する学問との関連をまじえて抽象的に話す章です。
湘南学園(2023)がここから出題していました。もちろん比較的わかりやすい範囲でしたが、
それでも「文章の後ろに注釈が16個もあった」ことから、中学受験の素材文としては高難度です。
一部の中学では出てもおかしくはないですが、お子さん一人で読み切るには厳しい章です。

第1章以降はお勧めします。ただ、文体がやわらかいだけに「単に読むだけでは得られるものが
少ない」です。ある程度本に読み慣れた生徒が読むと良いでしょう。私も途中で余談をはさみ
ましたが「これって自分だったらどうだろう」とおきかえてみたり、「ああ、そういう考えも
あるよね」と身近な事例に置きかえてみたりできる生徒なら学びも大きいです。

ひとつ具体例をだしましょう。

「情報」について。本文では、視覚情報を持たない全盲者がいかに「健常者の見えないものを
見ているか」を述べています。「情報」は2025年以降、大学入試の科目に新たに加わるほど大事な用語ですが、『その情報を、道具として使う側の人間のあり方』を考えるのはどうでしょう。
見渡してみても「スマホのとりこ」「芸能ゴシップに振り回される」…情報に踊らされる大人も
少なくありません。

この本の内容と「情報」をミックスし、難関中学が出しがちな自由作文問題としてアウトプット
するとこんな感じになるかと思います。

 

問 本文では情報量の多いはずの健常者が物事の表層しかとらえられず、視覚情報のない木下さんが、かえって本質に近い全体像をとらえている場合もあることが描かれていました。あなたのこれまでの学校生活や身の回りの出来事で「情報が多すぎて、かえって大切なものを見落としていた」経験を、具体例をまじえつつ、百字以上百二十字以内で述べなさい。

 

どうでしょう。どこかの中学の問題に似せて作ってみました。せっかく良い文章を読んでいるので、受動的に受け止めるだけではなく能動的に本の世界に没頭してほしいですね。

読書を通してなにかしら、気づきや発見を得られる段階にあるお子様なら、本書は確実に思考の
幅を広げてくれると思いますよ。それは自由記述作文などで、大きな武器になるはずです。

バリアフリー、社会の多様性、主体的な人生、固定観念のしばりからの解放、共生社会などなど。
国語の出題テーマにありがちな問題について、この一冊を通して考えるヒントを得てみませんか?
思考の扉は、あなたが手をかけ、開けてくれるその時を待っています…

「日日是学日!」(⇒ 日々、これ学び!)」

国語ドクター