みなさんこんにちは。「受験Dr.の天気の子※」こと、国語・社会科の天野です。
※誰も呼んでいません
6月も後半になりました。梅雨とともに中学受験生を憂鬱な気分にさせるのは、範囲がない大きなテスト。復習を進めながら、紛らわしい暗記項目に頭を悩ませている頃ではないでしょうか。そんな頭の中を晴れ渡らせせる一助として、前回に引き続き、外交史分野で特に受験生が苦労する項目を取り上げたいと思います。
「今から、晴れるよ!」(※映画『天気の子』のヒロイン天野陽菜の台詞)
いつものように、先生と生徒2人の会話形式でお届けします。
弥生~古墳時代の日本について書かれた中国の歴史書
太郎 「カンジョ…チリシ…ん?トウイデン?!や、それはゴカンジョ??あーーーー、もう!!」
先生 「お、太郎君、勉強頑張りすぎて爆発してるね(笑)」
太郎 「弥生~古墳時代の日本のことが書いてある中国の歴史書の名前と順番、ほんと苦手です。そもそもなんで中国のもの覚えなきゃいけないんですか?中学受験の範囲は日本史だけじゃないんすか?!」
先生 「まあまあ、そう怒らずに(笑) 太郎君は本当はその理由をわかってるはずでは…?」
太郎 「…弥生~古墳時代のことを“同時代に”書いた日本の史料がないから…だっけ?」
先生 「ほら完璧!!『古事記』や『日本書紀』には書いてあるんだけど、これらが編纂されたのは…」
花子 「奈良時代!『古事記』が712年、『日本書紀』が720年。弥生~古墳より、だいぶ後になるね。」
先生 「花子さん、前々回の範囲もばっちりだね。それに、神話・伝説的な記述も多いので、歴史にとどまらずいろいろ大切なことを教えてくれるんだけど、史実(歴史的事実)としては扱いが難しいんだ。」
太郎 「それで、同時代の中国の歴史書を参考にするってわけですね。」
先生 「そう。もちろん、同時代とはいえ正確さはかなり怪しいから、あくまで参考なんだけどね。」
花子 「でも、ほんと名前がややこしい。『漢書』の後に『“後”漢書』というのはわかりやすいけど…」
先生 「中国と言えば漢字、漢字と言えば大本は「漢」ということで『漢書』が最初。その後はいま言ってくれたように『後漢書』、そして、『魏志』、『宋書』と続く。頭を取って、「看護偽装」とか覚えてもいいね(笑)」
太郎 「でも、こう並べて見ると、なんで『魏志』だけ王朝名の後に「書」じゃなく「志」なの?」
先生 「太郎君、「三国志」って知ってるかな?」
太郎 「聞いたことは…ある!去年テレビドラマの「パリピ孔明」に出てきてた、諸葛亮孔明の時代だっけ?」
先生 「うん。中国が三国に分かれて統一を志していた時代ね。本当は「こころざし」って意味じゃなくて、雑誌の「誌」と同じ意味なんだけど、統一国家の正式な歴史書じゃなかったってことだけ、わかっていてくれればいいよ。ちなみに、『漢書』地理志の「志」も雑誌の「誌」と同じことね。」
花子 「あ!それそれ!歴史書の題名部分は【看護偽装+書[or志]】でいいとして、「地理志」とか、後半部分の順番は、どう覚えたら…?」
先生 「中国から見た「倭」(=当時の日本に対する中国の呼び方)の存在感や格が次第にアップしていく流れと考えるのはどう?次の表の青字部分みたいに。」
※ 『漢書』地理志を「漢書地理志」とするなど、全てカッコでくくる表記法もあります。いずれにせよこれらは、あくまでも中学受験に出る形での史料名です。例えば『魏志』倭人伝は、専門的には『三国志』「魏書」東夷伝倭人条と書くこともあります。
先生 「この見方にプラス、さっきのゴロとあわせて以下のゴロを使ってもいいかもしれない。」
花子 「“遠いわ”って、中国からくる使者の実感がこもってそう(笑)それにしても先生、 『後漢書』東夷伝の「東の野蛮人」とか、だいぶ失礼じゃないですか?(笑)」
先生 「まあね…当時の価値観は今とは違うから現代の感覚で判断するのは気をつけないといけないし、表面的な言葉が差別的でも、意識でどこまで差別しているかはわからないけども…」
花子 「そういえば、蘇我“蝦夷”とかも、『日本書紀』を編集した人たちが蘇我氏をおとしめるために後からつけたのか、本当の名前だったのか議論があるって読んだことある。」
太郎 「確か「麻呂」って名前とかも、赤ちゃんの「お“まる”」と同じ意味だって説もあるんだよね?(笑) 魔除け的な意味があるとか言うけど、今じゃ考えられない。やだよ俺、「トイレ太郎」とか(笑)」
先生 「いずれにせよ、自分たちの文化が一番尊く、周辺にいる民族を野蛮だと考えてしまうのは、古今東西どこにでもありがちなことなんだ。中国のそういう考え方を「中華思想」っていうけど、この発想を借りて日本の朝廷が東北の人々を「蝦夷(えみし)」と呼んだり、戦国時代に南の方から日本にやって来たポルトガル・スペインの人々を、なんて呼んでたっけ?」
太郎 「南蛮人!あ、これも文字通りなら「南の野蛮人」みたいな意味か…」
倭王武=ワカタケル大王=雄略天皇
先生 「そうそう。ところで太郎君、最後の『宋書』倭国伝って、この歴史書の名前自体はそんなに出題頻度高くないけど、「倭王武」は大事だよね。「武」って、日本ではなんと呼ばれていたんだっけ?」
太郎 「ワカタケル大王ですよね?「武」って訓読みすれば「タケル」とも読めるし。」
花子 「同時代の埼玉県の稲荷山古墳から、「ワカタケル大王」って記された鉄剣が見つかったんだよね?」
先生 「二人ともすばらしい!あとは熊本県の江田船山古墳からも、同じように読める文字が刻まれた鉄刀が見つかってる。これらに記された内容から推定できることは?」
太郎 「当時の大和政権(大和朝廷)の勢力範囲が、関東から九州にまで及んでたことですね。でも先生、「ワカタケル」って書いてあるっていうけど、当時ってカタカナなんかあったの??」
先生 「カタカナやひらがなは平安時代の国風文化の発明ね。資料集の写真とか見てほしいんだけど、万葉仮名みたいに「獲加多支鹵」って漢字が刻んであって、「ワカタケル」って読めると発見されたってことだよ。」
花子 「ああ、万葉仮名って、奈良時代の『万葉集』で使われていたやつで、「泣く子らを」を「奈苦古良乎」って書いたり、「よろしく」を「夜露死苦」って書く当て字みたいなやつですよね?」
先生 「一個目のはドンピシャで『万葉集』だけど、二個目のはノーコメント(笑) じゃあ花子さん、そのワカタケル大王は、『日本書紀』に出てくる天皇の名前に当てはめると、どうなるんだっけ?」
花子 「えっと…なんか、オス…じゃなくて(笑)、「雄々しい」「英雄」みたいな意味で「雄」がついて…」
先生 「そうそう、「武」でもって「雄々しく」地方を「攻略」していって大和政権の勢力を広げていて…」
花子 「あ!雄略天皇だ!!」
先生 「正解!!」
太郎 「これも、天皇の名前に使われている漢字の意味を考えれば覚えられるってやつですね?」
太郎 「「武」と「タケル」と「雄略」ってつながってたのよね…こんな古い時代に、中国の歴史書と日本の歴史書と鉄剣みたいな物的証拠がここまできれいにそろうことも珍しいって先生興奮して教えてくれましたよね。」
先生 「…先生はもう何も語る必要がなさそうだな(笑) …ところで、「こんな古い時代」って、何世紀?」
太郎 「倭の“五”王は、“五”世記!!GO!GO!朝鮮半島!」
先生 「すばらしい!朝鮮半島に進出していった時代背景も入れ込んだのね(笑)」
金印の区別
先生 「よし、よく勉強してるから、最後にこれも聞いてみようかな。②『後漢書』東夷伝で光武帝からもらった「漢委奴国王」って刻まれた金印が、江戸時代に見つかった場所は?」
太郎 「福岡県の志賀島!「こんな金印ほしかった」ってゴロで、紀元(西暦)57年と、志賀島を覚えてます。ちなみに、金印では「倭」じゃなくて「委」になってるのは、もしかして「誌」が「志」になるのと同じですか?」
先生 「勘のいい生徒はきら…いや(笑)、素晴らしいね!諸説有るけど、そう考えておいていいよ。」
花子 「その金印は覚えてたんだけど、③の『魏志』倭人伝見ると、卑弥呼も金印もらってるんですか?!」
先生 「そう、難しめの選択肢問題では、気をつけなきゃいけないね。卑弥呼の段階は、「親魏倭王」だから、すでに「倭全体の王」として認められているところがポイントだね。」
花子 「なるほど、②の「漢委奴国王」の段階では、「倭」がたくさんに分裂している中の一つ王(奴国の王)として認められているだけだったものね。」
先生 「うん。邪馬台国の場所含めてわからないことが多いし、実際に卑弥呼が日本全体を支配していたわけではないだろうけどね。いずれにしても、中国の皇帝に認めてもらおうとしていることが、②から④に進むにつれ、【②小国の王→③倭の王→④倭を飛び出して朝鮮半島南部まで】と拡大していっている事に注目すれば、表で整理した【中国から見た倭の存在感や格が次第にアップしていく流れ】とセットで整理しやすいね。」
いかがでしたでしょうか。整理の一助となれば幸いです。
それではまた、お会いしましょう。